・・・ あの脚本は、私に智的にも、感情の上にもいろいろの閃きを与えて呉れたと云うことで、ほんとうに御礼を申します。又いずれゆっくりお目にかかりましょう。若し、私があの御本をとおして考えた貴女と云うものに大きな間違いでもしていたら、どうぞ御教え・・・ 宮本百合子 「大橋房子様へ」
うす暗き片すみにかがむ死の影は夜の気の定まると共にその衣のひだをまし光をまし 毒気をまして人間の心の臓をうかがいて迫る。黒き衣の陰に大鎌は閃きて世を嘲り見すかしたる様にうち笑む死の影は長き衣を・・・ 宮本百合子 「片すみにかがむ死の影」
・・・悲しい火花のような自由民権思想の短い閃きをもったまま、それが空から消されたあとは、半封建のうすくらがりの低迷のうちに、自我を模索し、この自然と社会との見かたに科学のよりどころを発見しようとしてきた。われらの故国のおくれた資本主義経済の事情は・・・ 宮本百合子 「現代の主題」
・・・ルド・ダ・ヴィンチが一応、モナ・リザを描き終ったと思う間もなく、モナ・リザの顔の上に、眼の中に、そして唇の上に、忽ちこれまでレオナルドの発見しなかった何か一つの新しい人間的な情感、女性としての美しさが閃き出たということを語っていはしないだろ・・・ 宮本百合子 「女性の歴史」
・・・考え乍ら、或ことが閃き、フと妻が顔をあげて夫を見る。夫の顔の暗さ。妻、獣のような眼の光で「同じこと? 考えて居らっしゃるのは。――私の考えて居るのと」 夫、烈しく「馬鹿!」 静かな夜、戸外を走る自動車の音。 ・・・ 宮本百合子 「一九二三年冬」
・・・ 第一日の十一月四日、法廷にはニュース映画のカメラ、ラジオの録音の機具まで運びこまれ、まぶしいフラッシュの閃きの間に赤坊の泣声がまじり、十二名の被告が入廷するという光景であったことが、各紙に報ぜられた。その前日ごろわたしたちは、裁判所の・・・ 宮本百合子 「それに偽りがないならば」
・・・において作者の興味をとらえているのは、人間性の時代的なこわれかたとその各破片のままの閃きの姿である。「チボー家の人々」を通して時代を描こうとするデュ・ガールの関心は、時代の矛盾激突によって破壊されようとしても猶こわれまいとする人間性の意欲と・・・ 宮本百合子 「次が待たれるおくりもの」
・・・ここではパートの崩壊、積重、綜合の排列情調の動揺若くはその突感の差異分裂の顫動度合の対立的要素から感覚が閃き出し、主観は語られずに感覚となって整頓せられ爆発する。時として感覚派の多くの作品は古き頭脳の評者から「拵えもの」なる貶称を冠せられる・・・ 横光利一 「新感覚論」
・・・明るい色の衣裳や、麦藁帽子や、笑声や、噂話はたちまちの間に閃き去って、夢の如くに消え失せる。秋の風が立つと、燕や、蝶や、散った花や、落ちた葉と一しょに、そんな生活は吹きまくられてしまう。そして別荘の窓を、外から冬の夜の闇が覗く。人に見棄てら・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
・・・しかもそこにすべてを裏切るある物の閃きがある。人は密室で本性を現わす無恥な女豚を感じないではいられない。――Kは生ぬるいメフィストを連想させた。彼は自己の醜さを嘲笑する。しかし醜さを焼き滅ぼそうとする熱欲があるからではない。彼は他人の弱所を・・・ 和辻哲郎 「転向」
出典:青空文庫