・・・彼はただじっと両膝をかかえ、時々窓の外へ目をやりながら、(鉄格子をはめた窓の外には枯れ葉さえ見えない樫院長のS博士や僕を相手に長々とこの話をしゃべりつづけた。もっとも身ぶりはしなかったわけではない。彼はたとえば「驚いた」と言う時には急に顔を・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・ そこで、茨城の方の田舎とやらに病院を建てた人が、もっともらしい御容子を取柄に副院長にという話がありましたそうで、早速家中それへ引越すことになりますと、お米さんでございます。 世帯を片づけついでに、古い箪笥の一棹も工面をするからどち・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・それから以来習慣が付き、子を産む度毎に必ず助産のお役を勤め、「犬猫の産科病院が出来ればさしずめ院長になれる経歴が出来た、」と大得意だった。 不思議な事にはこれほど大切に可愛がっていたが、この猫には名がなかった。家族は便宜上「白」と呼んで・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・ A院長は、居間で、これから一杯やろうと思っていたのです。そこへはばかるような小さい跫音がして、取り次ぎの女中兼看護婦が入ってきて、「患者がみえましたが。」と、告げました。「だれだ? 初診のものか。」と、院長は、目を光らしました・・・ 小川未明 「三月の空の下」
・・・「あなたですか、院長さんに見てもらいたいと、おっしゃられたのは?」と、看護婦はたずねました。「さようでございます。」と、彼女は、答えました。「お気の毒ですが、院長さんは、ただいま、ご旅行中なんですが……。」 こう看護婦がいっ・・・ 小川未明 「世の中のこと」
・・・ 陸軍病院で――彼は、そこに勤務していた――毎月一円ずつ強制的に貯金をさせられている。院長の軍医正が、兵卒に貯金をすることを命じたのだ。 俸給が、その時、戦時加俸がついてなんでも、一カ月五円六十銭だった。兵卒はそれだけの金で一カ月の・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・そこへ院長蜂谷が庭づたいに歩いて来て、おげんを慰め顔に廊下のところへ腰掛けた。「お嬢さんを見ると、先生のことを思出します。ほんとにお嬢さんは先生によく似てお出だ」 蜂谷はおげんの旦那のことを「先生、先生」と呼んでいた。「蜂谷さん・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・その病院の院長は、長兄の友人であった。私は特別に大事にされた。広い病室を二つ借りて家財道具全部を持ち込み、病院に移住してしまった。五月、六月、七月、そろそろ藪蚊が出て来て病室に白い蚊帳を吊りはじめたころ、私は院長の指図で、千葉県船橋町に転地・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・一、新入院の者ある時には、必ず、二階の見はらしよき一室に寝かせ、電球もあかるきものとつけかえ、そうして、附き添って来た家族の者を、やや、安心させて、あくる日、院長、二階は未だ許可とってないから、と下の陰気な十五名ほどの患者と同じの病棟へ・・・ 太宰治 「HUMAN LOST」
・・・ きのう来ていただいたお医者さんは、弘前の鳴海内科の院長さんよ。それでね、お父さんがきょう、鳴海先生のとこへお薬をもらいに行ったの。 睦子がいないと、淋しい。 静かでかえっていいじゃないの。でも、子供ってずいぶん現金なものねえ。おば・・・ 太宰治 「冬の花火」
出典:青空文庫