・・・ つまり、この新聞に随筆を書けという要談であったわけです。私から見ると、いずれも十六七くらいにしか見えない温厚な少年でありましたが、それでもやはり廿を過ぎて居られるのでしょうね。どうも、此頃、人の年齢のほどが判らなくなってしまいました。・・・ 太宰治 「心の王者」
なんの随筆の十枚くらい書けないわけは無いのであるが、この作家は、もう、きょうで三日も沈吟をつづけ、書いてはしばらくして破り、また書いては暫くして破り、日本は今、紙類に不足している時ではあるし、こんなに破っては、もったいない・・・ 太宰治 「作家の像」
・・・もしできれば次に出版するはずの随筆集の表紙にこの木綿を使いたいと思って店員に相談してみたが、古い物をありだけ諸方から拾い集めたのだから、同じ品を何反もそろえる事は到底不可能だというので遺憾ながら断念した、新たに織らせるとなるとだいぶ高価にな・・・ 寺田寅彦 「糸車」
・・・そういうわけで、もちろん、論文でもなく教程でもなく、全く思いつくままの随筆である。文学者の文学論、文学観はいくらでもあるが、科学者の文学観は比較的少数なので、いわゆる他山の石の石くずぐらいにはなるかもしれないというのが、自分の自分への申し訳・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・そんな訳であるから、この一篇は畢竟思い付くままの随筆であって、もとより論文でもなく、考証ものでもなく、むしろ一種の読後感のようなものに過ぎない。この点あらかじめ読者の諒解を得ておかなければならないのである。 西鶴の人についてもあまりに何・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・昔の随筆物なども物色してみたし、古書展覧会などもあさって歩いたがやっぱり自分の目的に適合するものは無い。ところが、自分の研究所のW君のにいさんが奈良県の技師をしておられるというので、これに依頼して、本場の奈良で詮議してもらったら、さっそく松・・・ 寺田寅彦 「錯覚数題」
・・・そうして、それに関するいろいろの空想を逞しくした顛末を随筆にかいたことがある。ところが最近のある晩TS君がやはり丸ビル附近でそれと全く同じような経験をした、と云って話したところによると、やはり同じような子供を背負っていたが、しかしその徒歩で・・・ 寺田寅彦 「雑記帳より(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・されば古老の随筆にして行賈の風俗を記載せざるものは稀であるが、その中に就いて、曳尾庵がわが衣の如き、小川顕道が塵塚談の如きは、今猶好事家必読の書目中に数えられている。是亦わたくしの贅するに及ばぬことであろう。昭和二年十一月記・・・ 永井荷風 「巷の声」
・・・わたしは西洋文学の研究に倦んだ折々、目を支那文学に移し、殊に清初詩家の随筆書牘なぞを読もうとした時、さほどに苦しまずしてその意を解することを得たのは今は既に世になき翰の賚であると言わねばならない。 唖々子が『通鑑綱目』を持出した頃、翰も・・・ 永井荷風 「梅雨晴」
・・・緑雨の小説随筆はこれを再読した時、案外に浅薄でまた甚厭味な心持がした。わたくしは今日に至っても露伴先生の『言長語』の二巻を折々繙いている。 大正以前の文学には、今日におけるが如く江戸趣味なる語に特別の意味はなかった。もしこの語を以て評す・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
出典:青空文庫