・・・しかし父と彼との間隔があまりに隔たりすぎてしまったのを思うと、むやみなことは言いたくなかった。それは結局二人の間を彌縫ができないほど離してしまうだけのものだったから。そしてこの老年の父をそれほどの目に遇わせても平気でいられるだけの自信がまだ・・・ 有島武郎 「親子」
・・・時には三丁と四丁の隔たりはあっても同じ田畝に、思いあっている人の姿を互いに遠くに見ながら働いている時など、よそ目にはわからぬ愉快に日を暮らし、骨の折れる仕事も苦しくは覚えぬのである。まして憎からぬ人と肩肘並べて働けば少しも仕事に苦しみはない・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・人の夫とわが夫との相違は数をもっていえない隔たりである。相思の恋人を余儀なく人の夫にして近くに見ておったという悲惨な経過をとった人が、ようやく春の恵みに逢うて、新しき生命を授けられ、梅花月光の契りを再びする事になったのはおとよの今宵だ。感き・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・その割れ目は、飛び越すことも、また、橋を渡すこともできないほど隔たりができて、しかも急流に押し流されるように、沖の方方へだんだんと走っていってしまったのであります。 三人は、手を挙げて、声をかぎりに叫んで、救いを求めました。陸の方に近い・・・ 小川未明 「黒い人と赤いそり」
・・・ 顔は隔たりてよくも見えねど、細面の色は優れて白く、すらりとしたる立姿はさらに見よげなり。心ともなくこなたを打ち仰ぎて、しきりにわれを見る人のあるにはッとしたるごとく、急がわしく室の中に姿を隠しぬ。辰弥もついに下り行けり。 湯治場の・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・別荘と畑一つ隔たりて牛乳屋あり、樫の木に取り囲まれし二棟は右なるに牛七匹住み、左なるに人五人住みつ、夫婦に小供二人、一人の雇男は配達人なり。別荘へは長男の童が朝夕二度の牛乳を運べば、青年いつしかこの童と親しみ、その後は乳屋の主人とも微笑みて・・・ 国木田独歩 「わかれ」
・・・秩父は山重なり谷深ければ、むかしは必ず狼の多かりしなるべく、今もなお折ふしは見ゆというのみか、此山にては月々十九日に飯生酒など本社より八町ほど隔たりたるところに供置きて与うといえば、出で来ぬには限らぬなるべし、おそろしき事かななど寒月子と窃・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・始めから発声映画を取って考えるのと、無声映画時代というものを経て来た後に現われた発声映画を考えるのとでは、考え方によほどな隔たりがある。しかしここでは実際の歴史に従ってまず無声映画を考えた後に、改めて別に発声映画の問題に立ち入りたいと思う。・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・ これらの原始的の影法師と現在の有声映画には数世紀の隔たりがあるにかかわらず、現在の映画はこのただの影法師から学ぶべきものを多くもっているかもしれない。 有声映画に取り入れられる音声も、単に話の筋道をはこぶための会話の使用にはたいて・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・ すぐ、襖一重の隔たりだのに、何故、始めから此の部屋へ通さないのかと云う様な、つまらない不平まで起って来た。 枕元に座ると、お君はもう何とも云えない気持になって、 父はん、 よう来とくれはったなあ。と云うなり、こ・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
出典:青空文庫