・・・若い自分が従妹と、そこに祖母が隠して置いた氷砂糖を皆食べて叱られた。その洋画や飾棚が、向島へ引移る時、永井と云う悪執事にちょろまかされたが、その永井も数年後、何者かに浅草で殺された事など、まさ子は悠り、楽しそうに語った。向島時代は、なほ子も・・・ 宮本百合子 「白い蚊帳」
・・・ 木村は洋服に着換えて、封を切らない朝日を一つ隠しに入れて玄関に出た。そこには弁当と蝙蝠傘とが置いてある。沓も磨いてある。 木村は傘をさして、てくてく出掛けた。停留場までの道は狭い町家続きで、通る時に主人の挨拶をする店は大抵極まって・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・ 馬は槽の手蔓に口をひっ掛けながら、またその中へ顔を隠して馬草を食った。「お母ア、馬々。」「ああ、馬々。」 六「おっと、待てよ。これは悴の下駄を買うのを忘れたぞ。あ奴は西瓜が好きじゃ。西瓜を買うと、俺・・・ 横光利一 「蠅」
・・・この苦痛は主我の思想によって転機に逢会するまで常に心を刺していたのであるが、転機とともに一時姿を隠した。自分はそれによって大いなる統一を得たつもりであった。しかしやがてまた苦痛は始まった。そうしてそれが追々強まって行くとともに、ちょうど夜明・・・ 和辻哲郎 「自己の肯定と否定と」
出典:青空文庫