・・・旅人宿だけに亀屋の店の障子には燈火が明く射していたが、今宵は客もあまりないと見えて内もひっそりとして、おりおり雁頸の太そうな煙管で火鉢の縁をたたく音がするばかりである。 突然に障子をあけて一人の男がのっそり入ッて来た。長火鉢に寄っかかッ・・・ 国木田独歩 「忘れえぬ人々」
・・・昔時はそれでも雁坂越と云って、たまにはその山を越して武蔵へ通った人もあるので、今でも怪しい地図に道路があるように書いてあるのもある。しかしこの釜和原から川上へ上って行くと下釜口、釜川、上釜口というところがあるが、それで行止りになってしまうの・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・それより奥の方、甲斐境信濃境の高き嶺々重なり聳えて天の末をば限りたるは、雁坂十文字など名さえすさまじく呼ぶものなるべし。 進み進みて下影森を過ぎ上影森村というに至るに、秩父二十八番の観音へ詣らんにはここより入るべしと、道のわかれに立札せ・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・鴻雁翔天の翼あれども栩々の捷なく、丈夫千里の才あって里閭に栄少し、十銭時にあわず銅貨にいやしめらるなぞと、むずかしき愚痴の出所はこんな者とお気が付かれたり。ようやくある家にて草鞋を買いえて勇を奮い、八時半頃野蒜につきぬ。白魚の子の吸物いとう・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・老博士は、ビヤホールの廻転ドアから、くるりと排出され、よろめき、その都会の侘びしい旅雁の列に身を投じ、たちまち、もまれ押されて、泳ぐような恰好で旅雁と共に流れて行きます。けれども、今夜の老博士は、この新宿の大群衆の中で、おそらくは一ばん自信・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・いまでも、この草むらには蛇がいる。雁や野鴨の渡り鳥も、この池でその羽を休める。庭園は、ほんとうは二百坪にも足りないひろさなのであるが、見たところ千坪ほどのひろさなのだ。すぐれた造園術のしかけである。われは池畔の熊笹のうえに腰をおろし、背を樫・・・ 太宰治 「逆行」
・・・夕焼あかき雁の腹雲、両手、着物のやつくちに不精者らしくつっこみ、おのおの固き乳房をそっとおさえて、土蔵の白壁によりかかって立ちならんで居る一群の、それも十四、五、六の娘たち、たがいに目まぜ、こっくり首肯き、くすぐったげに首筋ちぢめて、くつく・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・ これに連関してまた、五位鷺や雁などが飛びながらおりおり鳴くのも、単に友を呼びかわしまた互いに警告し合うばかりでなくあるいはその反響によって地上の高さを瀬踏みするためにいくぶんか役立つのではないかと思われるし、またとんびが滑翔しながら例・・・ 寺田寅彦 「疑問と空想」
・・・その原稿と色や感じのよく似た雁皮鳥の子紙に印刷したものを一枚一枚左側ページに貼付してその下に邦文解説があり、反対の右側ページには英文テキストが印刷してある。 書物の大きさは三二×四三・五センチメートルで、用紙は一枚漉きの純白の鳥の子らし・・・ 寺田寅彦 「小泉八雲秘稿画本「妖魔詩話」」
・・・作者は苔城松子雁戯稿となせるのみで、何人なるやを詳にしない。然しこの書は明治十年西南戦争の平定した後凱旋の兵士が除隊の命を待つ間一時谷中辺の寺院に宿泊していた事を記述し、それより根津駒込あたりの街の状況を説くこと頗精細である。是亦明治風俗史・・・ 永井荷風 「上野」
出典:青空文庫