・・・の主人は腕を離すと妙に改まって頭を下げ、「頑張らせて貰いましたおかげで、到頭元の喫茶をはじめるところまで漕ぎつけましてん。今普請してる最中でっけど、中頃には開店させて貰いま」 そして、開店の日はぜひ招待したいから、住所を知らせてくれ・・・ 織田作之助 「神経」
・・・彼は、なお、土地を手離すまいと努力した。金を又借り足して利子を払った。しかし、何年か前、彼に、土地を売りつけに来た熊さんは、矢のように借金の取立てに押しかけて来た。土地を売ッ払ッて仕末をつけてしまうように、無遠慮な調子で切り出した。 昔・・・ 黒島伝治 「浮動する地価」
・・・それ以後は、私はこれら高価に買い求めた猟犬、一匹一匹、手離すことに努力した。私になつかぬ、けれども素晴らしい良種の猟犬をさえ、私は涙をのんで手離した。誰が手離したのか。もちろん私である。けれども世評、そいつが私に手離させた猟犬も二、三あった・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・あの島田の本を、憎んでいながら、それでも、その本の中のあなたが慕わしくて、私は自分の手許から離す事が出来なかったのです。この十年間、あなたはいつも私の傍にいたのです。白足袋や主婦の一日始まりぬ。あなたのその綺麗な姿が、朝から晩まで、私の身の・・・ 太宰治 「冬の花火」
・・・ それでまた夫婦がわらい声をたててから、こんどは急に気がついたふうに嫁さんは、顔をかくしていたうちわを離すと、「ね、青井さん」 三吉があわてて電灯の灯の方へ顔をむけると、気のいい人の要慎なさで、白粉の匂いと一緒に顔をくっつけなが・・・ 徳永直 「白い道」
・・・うせあなた方も私も日本人で、現代に生れたもので、過去の人間でも未来の人間でも何でもない上に現に開化の影響を受けているのだから、現代と日本と開化と云う三つの言葉は、どうしても諸君と私とに切っても切れない離すべからざる密接な関係があるのは分り切・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・自分が百合から顔を離す拍子に思わず、遠い空を見たら、暁の星がたった一つ瞬いていた。「百年はもう来ていたんだな」とこの時始めて気がついた。第二夜 こんな夢を見た。 和尚の室を退がって、廊下伝いに自分の部屋へ帰ると行灯が・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・然るに三角形の三つの角の和が二直角であるということが、三角形の本質から離すことができない如くに、神の存在ということは、神の本質から離すことはできぬ。存在ということの欠けた最高完全者というものを考えることは、谷のない山を考える如く自己撞着であ・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・ それより以下幾百万の貧民は、たとい無月謝にても、あるいはまた学校より少々ずつの筆紙墨など貰うほどのありがたき仕合にても、なおなお子供を手離すべからず。八歳の男の子には、草を刈らせ牛を逐わせ、六歳の妹には子守の用あり。学校の教育、願わし・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
・・・と云われてやっと離す。そのように覚えのよい、小心な、根気よいところあって、哀れ。 ○四つの子供がよく大人の言葉と表情を理解するだけでもおどろくべきものだ。 ○「ああ 一寸姐さん」と立つ関さんの後を 「ワアー たあたん」 ・・・ 宮本百合子 「一九二七年春より」
出典:青空文庫