・・・…… それから、四時間近くたった頃―― どこをどう歩きまわっていたのか、豹吉は風のように難波の闇市へ現れた。 昨日は雨とメーデーで闇市もさびれたが、今日の闇市はまだ昼前だというのに、ぞろぞろと雑踏していた。 揉まれるようにし・・・ 織田作之助 「夜光虫」
・・・』『そうでございました、難波へ嫁にゆけというのであります。』『お前はどうして』と問われてお絹ためらいしが『叔父さんとよく相談してと生返事をして置きました。』『そうか』と叔父は嘆息なり。『叔父さんのご用というのは何。』・・・ 国木田独歩 「置土産」
・・・手に嘴に受けて、すぐにもう、生れてはじめてと思われるほどの満腹感を覚え、岸の林に引上げて来て、梢にとまり、林に嘴をこすって、水満々の洞庭の湖面の夕日に映えて黄金色に輝いている様を見渡し、「秋風飜す黄金浪花千片か」などと所謂君子蕩々然とうそぶ・・・ 太宰治 「竹青」
・・・災害史によると、難波や土佐の沿岸は古来しばしば暴風時の高潮のためになぎ倒された経験をもっている。それで明治以前にはそういう危険のあるような場所には自然に人間の集落が希薄になっていたのではないかと想像される。古い民家の集落の分布は一見偶然のよ・・・ 寺田寅彦 「天災と国防」
・・・公園裏にて下り小路を入れば人の往来織るがごとく、壮士芝居あれば娘手踊あり、軽業カッポレ浪花踊、評判の江川の玉乗りにタッタ三銭を惜しみたまわぬ方々に満たされて囃子の音ただ八ヶまし。猿に餌をやるどれほど面白きか知らず。魚釣幾度か釣り損ねてようや・・・ 寺田寅彦 「半日ある記」
・・・前座には深水と高坂がしゃべった。浪花ぶし語りみたい仙台平の袴をつけた深水の演説のつぎに、チョッキの胸に金ぐさりをからませた高坂が演壇にでて、永井柳太郎ばりの大アクセントで、彼の十八番である普通選挙のことをしゃべると、ガランとした会場がよけい・・・ 徳永直 「白い道」
・・・慶応四年春、浪華に行幸あるに吾宰相君御供仕たまへる御とも仕まつりに、上月景光主のめされてはるばるのぼりけるうまのはなむけに天皇の御さきつかへてたづがねののどかにすらん難波津に行すめらぎの稀の行幸御供する君のさ・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・とにて古庭に茶筌花咲く椿かな 雁宕久しく音づれせざりければ有と見えて扇の裏絵覚束な 波翻舌本吐紅蓮閻王の口や牡丹を吐かんとす 蟻垤蟻王宮朱門を開く牡丹かな浪花の旧国主して諸国の俳士を集めて円山に・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・きっと浪花ぶしだぜ。」 子狐紺三郎はなるほどという顔をして、「ええ、そうかもしれません。とにかくお団子をおあがりなさい。私のさしあげるのは、ちゃんと私が畑を作って播いて草をとって刈って叩いて粉にして練ってむしてお砂糖をかけたのです。・・・ 宮沢賢治 「雪渡り」
・・・翌月更に大阪浪花座に於て続演。はじめて戯曲家としての存在を認めらる。「津村教授」と二つ合せて戯曲集「生命の冠」を新潮社より出版す。著者の作の書物にまとまりし最初のものなり。四月、「嬰児殺し」を『第一義』に発表。十月文芸座によって「津村教授」・・・ 宮本百合子 「山本有三氏の境地」
出典:青空文庫