・・・ 余り可懐しさに、うっかり雪路を上ったわ。峠の原で、たぶさを取って引倒して、覚えがあろうと、ずるずると引摺られて、積った雪が摺れる枝の、さいかちに手足が裂けて、あの、実の真赤なのを見た時は、針の山に追上げられる雪の峠の亡者か、と思ったん・・・ 泉鏡花 「第二菎蒻本」
・・・と、太郎は雪路の上に立って、怖ろしいけんまくをしてみせて乙をおどしました。乙は大きな声をあげて泣き出しました。ちょうどそこへ、乙の知ったおじいさんが通りかかったもので、「おい、けんかをしていかんぞ。」といったので、太郎は独りであ・・・ 小川未明 「雪の国と太郎」
・・・瀬音の高い川沿いの、松並木の断続した馬糞に汚れた雪路を一里ばかりも行ったところが、そのG村であった。国道沿いながら大きな山の蔭になっていて、戸数の百もあろうかというまったくの寒村であった。 かなり長い急な山裾の切通し坂をぐるりと廻って上・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・雪靴をはいて、雪路を歩いている私の姿は、まさに田舎者そのものである。しかし、私はこれからこそ、この田舎者の要領の悪さ、拙劣さ、のみ込みの鈍さ、単純な疑問でもって、押し通してみたいと思っている。いまの私が、自身にたよるところがありとすれば、た・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・二人は雪路を歩きながら、格別なんの会話も無い。 下宿の門はしまっていた。「ああ、いけない。しめだしを食っちゃった。」 その家の御主人は厳格なひとで、私の帰宅のおそすぎる時には、こらしめの意味で門をしめてしまうのである。「いい・・・ 太宰治 「チャンス」
・・・森の中から児供の泣き声は次第に近づき小さい裸の人間の形をしたものが雪路の上へ飛び出して来た。そして泣き叫びつつ橇を追っかけ始めた。百姓は夢中で橇を速める。小さい裸の人間の形をしたものも益々泣き叫んで追っかけて来る。――馬の尻をたたきつづけて・・・ 宮本百合子 「一九二九年一月――二月」
出典:青空文庫