・・・対岸は土地がいかにも低いらしく、生茂る蘆より外には、樹木も屋根も電柱も見えない。此方の岸から水の真中へかけて、草も木もない黄色の禿山が、曇った空に聳えて眺望を遮っている。今まで荷船の輻湊した狭い堀割の光景に馴らされていた眼には、突然濁った黄・・・ 永井荷風 「放水路」
・・・蘆の中の水たまりに宵の明星がけいけいとして浮いているのに、覚えず立止って、出来もせぬ俳句を考えたりする中、先へ行く女の姿は早くも夕闇の中にかくれてしまったが、やがて稲荷前の電車停留場へ来ると、その女は電柱の下のベンチに腰をかけ、電燈の光をた・・・ 永井荷風 「元八まん」
・・・ 何しろ、ポムプへ引いてある動力線の電柱が、草見たいに撓む程、風が雪と混って吹いた。 鼻と云わず口と云わず、出鱈目に雪が吹きつけた。 ブルッ、と手で顔を撫でると、全で凍傷の薬でも塗ったように、マシン油がベタベタ顔にくっついた。そ・・・ 葉山嘉樹 「坑夫の子」
・・・レールを七つ組み合せると円くなってそれに電柱や信号標もついていて信号標のあかりは汽車が通るときだけ青くなるようになっていたんだ。いつかアルコールがなくなったとき石油をつかったら、罐がすっかり煤けたよ。」「そうかねえ。」「いまも毎朝新・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・シグナルは、今日は巡査のようにしゃんと立っていましたが、風が強くて太っちょの電柱に聞こえないのをいいことにして、シグナレスに話しかけました。「どうもひどい風ですね。あなた頭がほてって痛みはしませんか。どうも僕は少しくらくらしますね。いろ・・・ 宮沢賢治 「シグナルとシグナレス」
・・・深い椈の森や、風や影、肉之草や、不思議な都会、ベーリング市まで続く電柱の列、それはまことにあやしくも楽しい国土である。この童話集の一列は実に作者の心象スケッチの一部である。それは少年少女期の終りごろから、アドレッセンス中葉に対する一つの・・・ 宮沢賢治 「『注文の多い料理店』新刊案内」
・・・一九四七年の日本インフレーションのこんなすさまじい波風にもまれて、電柱に和服裁縫内職の紙のひらめいている光景は、実に悲惨な時代錯誤の感じを与える風景だと思う。樋口一葉の小説の中にあるにふさわしい風景だと思う。 こういう時代錯誤的な切ない・・・ 宮本百合子 「衣服と婦人の生活」
・・・きのうの朝早く外へ出てすこし行ったら炭俵を一俵ずつ両手に下げた厚司前垂の若衆がとある家の勝手口へ入った、もしや、と思って待っていたがなかなか出て来ないし、こちらに時間があるので歩き出したら、角の電柱のはずれから可愛い茶色の朝鮮牛が無邪気な鼻・・・ 宮本百合子 「この初冬」
・・・つまり、畑や電柱、アンテナなどに文明の波が柔く脈打っているため、威圧的でない程度に自然が浮き上り、一種の田園美をなしている。いつか、長崎村附近を散歩し、この辺とは全然違う印象を受けた。あの辺の村落は恐ろしい勢で解体しつつある。畑などどしどし・・・ 宮本百合子 「是は現実的な感想」
・・・○電柱に愛刀週間の立看板◎右手の武者窓づくりのところで珍しく門扉をひらき 赤白のダンダラ幕をはり 何か試合の会かなにかやっている黒紋付の男の立姿がちらりと見えた。○花電車。三台。菊花の中に円いギラギラ光る銀色の玉が二つあ・・・ 宮本百合子 「情景(秋)」
出典:青空文庫