・・・安政元年十一月四日五日六日にわたる地震には東海、東山、北陸、山陽、山陰、南海、西海諸道ことごとく震動し、災害地帯はあるいは続きあるいは断えてはまた続いてこれらの諸道に分布し、至るところの沿岸には恐ろしい津波が押し寄せ、震水火による死者三千数・・・ 寺田寅彦 「時事雑感」
一 地震の概念 地震というものの概念は人々によってずいぶん著しくちがっている。理学者以外の世人にとっては、地震現象の心像はすべて自己の感覚を中心として見た展望図に過ぎない。震動の筋肉感や、耳に聞こゆる破壊的の音響や、眼に見える物・・・ 寺田寅彦 「地震雑感」
・・・これで見ても、そうこの建物の震動は激烈なものでなかったことがわかる。あとで考えてみると、これは建物の自己週期が著しく長いことが有利であったのであろうと思われる。震動が衰えてから外の様子を見に出ようと思ったが喫茶店のボーイも一人残らず出てしま・・・ 寺田寅彦 「震災日記より」
・・・の圧力が地の傾動を起こし震動を起こすという考えが、最近のマグマ運動と地震の関係に関する学説を連想させる。 津波の記事の加えられているのは地震国たるギリシア・ローマの学者にして始めてありうるものであろう。 次には大洋の水量の恒久と関係・・・ 寺田寅彦 「ルクレチウスと科学」
・・・余はしゅっと云う音と共に、倏忽とわれを去る熱気が、静なる京の夜に震動を起しはせぬかと心配した。「遠いよ」と云った人の車と、「遠いぜ」と云った人の車と、顫えている余の車は長き轅を長く連ねて、狭く細い路を北へ北へと行く。静かな夜を、聞かざる・・・ 夏目漱石 「京に着ける夕」
・・・その幾百噸の煙りの一分子がことごとく震動して爆発するかと思わるるほどの音が、遠い遠い奥の方から、濃いものと共に頭の上へ躍り上がって来る。 雨と風のなかに、毛虫のような眉を攅めて、余念もなく眺めていた、圭さんが、非常な落ちついた調子で、・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・髪の毛ではない無数の蛇の舌が断間なく震動して五寸の円の輪を揺り廻るので、銀地に絹糸の様に細い炎が、見えたり隠れたり、隠れたり見えたり、渦を巻いたり、波を立てたりする。全部が一度に動いて顔の周囲を廻転するかと思うと、局部が纔かに動きやんで、す・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・また同様に鼓膜も、極めて微細な震動しかしなかった。空気――風――と光線とは誰の所有に属するかは、多分、典獄か検事局かに属するんだろう――知らなかったが、私達の所有は断乎として禁じられていた。 それが今、声帯は躍動し、鼓膜は裂けるばかりに・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
・・・黒き衣の陰に大鎌は閃きて世を嘲り見すかしたる様にうち笑む死の影は長き衣を引きて足音はなし只あやしき空気の震動は重苦しく迫りて塵は働きを止めかたずのみて 其の成り行きを見守る。大鎌の奇怪なる角・・・ 宮本百合子 「片すみにかがむ死の影」
・・・せり上って来る熊谷次郎の髪も菊の花でできた鐙も馬もいちように小刻みに震動しながら、陰気な軋みにつれて舞台に姿を現して来るのだった。閑静な林町の杉林のある通りへ菊人形の楽隊の音は、幾日もつづけて、実際あるよりも面白いことがありそうにきこえて来・・・ 宮本百合子 「菊人形」
出典:青空文庫