木枯らしの夜おそく神保町を歩いていたら、版画と額縁を並べた露店の片すみに立てかけた一枚の彩色石版が目についた。青衣の西洋少女が合掌して上目に聖母像を見守る半身像である。これを見ると同時にある古いなつかしい記憶が一時に火をつ・・・ 寺田寅彦 「青衣童女像」
・・・ 降誕祭前一週間ほど、市役所前の広場に歳の市が立って、安物のおもちゃや駄菓子などの露店が並びましたが、いつ行って見ても不景気でお客さんはあまり無いようでした。売り手のじいさんやばあさんも長い煙管を吹かしたり編み物をしているのでありました・・・ 寺田寅彦 「先生への通信」
・・・ ここにおいて、或る人は、帝国ホテルの西洋料理よりもむしろ露店の立ち喰いにトンカツのをかぎたいといった。露店で食う豚の肉の油揚げは、既に西洋趣味を脱却して、しかも従来の天麩羅と抵触する事なく、更に別種の新しきものになり得ているからだ。カ・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・参詣の人が二人三人と絶えず上り降りする石段の下には易者の机や、筑波根売りの露店が二、三軒出ていた。そのそばに児守や子供や人が大勢立止っているので、何かと近いて見ると、坊主頭の老人が木魚を叩いて阿呆陀羅経をやっているのであった。阿呆陀羅経のと・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・軒をならべた露店に面して、よくみがかれた大きいショーウィンドをきらめかせているデパートはすべてが外国風な装飾で、外国人専用のデパートの入口には外国の若い兵士が番をしている。その入口を出て来る人の姿を見ていると、あながち外国人ばかりでもなくて・・・ 宮本百合子 「偽りのない文化を」
・・・兎に角お腹が空くわという気持で、露店でも見ながら街を歩くでしょう。 今日あたりの新聞をみると、少年少女の犯罪が非常に多い。特に少女の脱線ぶりがひどい。一斉検挙をするということが出て居ります。それを読んで私は非常に悲しく思いました。なぜな・・・ 宮本百合子 「美しく豊な生活へ」
・・・ 小道具でも、何んでもが、小綺麗になって、置床には、縁日の露店でならべて居る様な土焼の布袋と、つく薯みたいな山水がかかって居た。 お金は、すっかり片づけて来て、兄の前にぴったりと平ったく座ると、急にあらたまった口調で、無沙汰の詫やら・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・一つの国が民主憲法をもち、民主的行政機構をもち、民主的労働組合と文化をもち、すべては民主的な表現で話されていて、内実は、ポツダム宣言の急速な裏切りと戦争挑発とファシズムの東洋の露店がつくられつつあるとすれば、その国の人民のおかれた愚弄の位置・・・ 宮本百合子 「三年たった今日」
・・・如何にも東洋の夜らしく鋪道の傍に並んだ露店を素見しながら、煌らかな明りの裡を、派手な若い男女の組、幸福らしい親子づれがぞろぞろ賑やかに通るのだが、今は、一とき前の引潮だ。道傍で生れた浮浪人さえ此世には無い自分の家を慕わせる逢魔が時だ。 ・・・ 宮本百合子 「小景」
・・・その低い屋根の下には露店が続き、軽い玩具や金物が溢れ返って光っていた。群集は高い街々の円錐の縁から下って来て集まった。彼はきょろきょろしながら新鮮な空気を吸いに泥溝の岸に拡っている露店の青物市場へ行くのである。そこでは時ならぬ菜園がアセチリ・・・ 横光利一 「街の底」
出典:青空文庫