・・・この梅干船(この船は賄が悪いのでこの仇名が我最期の場所かと思うと恐しく悲しくなって一分間も心の静まるという事はない。しかし郵便を出してくれると聞いて、自分も起き直って、ようよう硯など取り出し、東京へやる電報を手紙の中へ封じてある人に頼んでや・・・ 正岡子規 「病」
・・・ 片手に杖を握り、片手に額をささえて両足を投げ出したまま痛みの鎮まるのを待った。 町に出るものもなし、子供も食事に引き込んで居て栄蔵の周囲には、小鳥一羽も居なかった。 冷い風が北から吹いて来て土面について居る脚や腰を凍らす様にし・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・ ハット思った心が鎮まると漸う私は彼に抓られたのだと云う事が分った。 私の云った事が此れ程の報酬を受けなければならない程大変悪い事であったろうとはどうしても思えなかったので、すっかり怯えた心持に成って仕舞った。 自分の大切に思っ・・・ 宮本百合子 「追憶」
・・・だが、忽ち彼の笑声が鎮まると、彼の腹は獣を入れた袋のように波打ち出した。彼はがばと跳ね返った。彼の片手は緞帳の襞をひっ攫んだ。紅の襞は鋭い線を一握の拳の中に集めながら、一揺れ毎に鐶を鳴らして辷り出した。彼は枕を攫んで投げつけた。彼はピラミッ・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
出典:青空文庫