・・・春の休暇のある日、確、静岡から久能山へ行って、それからあすこへまわったかと思う。あいにくの吹き降りで、不二見村の往還から寺の門まで行く路が、文字通りくつを没するほどぬかっていたが、その春雨にぬれた大覇王樹が、青い杓子をべたべたのばしながら、・・・ 芥川竜之介 「樗牛の事」
・・・ これも、私が逗子に居た時分に、つい近所の婦人から聞いた談、その婦人がまだ娘の時分に、自分の家にあったと云うのだ。静岡の何でも町端れが、その人の父が其処の屋敷に住んだところ、半年ばかりというものは不思議な出来事が続け様で、発端は五月頃、・・・ 泉鏡花 「一寸怪」
・・・ 逗子にいた時、静岡の町の光景が見たくって、三月の中ばと思う。一度彼処へ旅をした。浅間の社で、釜で甘酒を売る茶店へ休んだ時、鳩と一所に日南ぼっこをする婆さんに、阿部川の川原で、桜の頃は土地の人が、毛氈に重詰もので、花の酒宴をする、と言う・・・ 泉鏡花 「雛がたり」
・・・長屋は藻ぬけて、静岡へ駈落だ。少し考えた事もあるし、当分引込んでいようと思う。お蔦 遠いわねえ。静岡ッて箱根のもッと先ですか。貴方がここに待っていて、石段を下りたばかりでさえ、気が急いてならなかったに、またいつ、お目にかかれるやら。・・・ 泉鏡花 「湯島の境内」
・・・る、その間々にも、僕をおだてる言葉を絶たないと同時に、自分の自慢話しがあり、金はたまらないが身に絹物をはなさないとか、作者の誰れ彼れはちょくちょく遊びに来るとか、商売がらでもあるが国府津を初め、日光、静岡、前橋などへも旅行したことがあるとか・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・その弁当でいくらか力がついたので、またトボトボと歩いて、静岡まで来ましたが、ふらふらになりながら、まず探したのは交番、やっと辿りついて豊橋で弁当を盗んだことを自首しました。 人のよさそうな巡査はしかし取り合わず、弁当を恵んで、働くことを・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・ ある支店長のごときは、旅費をどう工面したのか、わざわざ静岡から出て来て、殆んど発狂同然の状態で霞町の総発売元へあばれ込み、丹造の顔を見た途端に、昂奮のあまり、鼻血を出して、「川那子! この血を啜れ! この血を。おれの血の最後の一滴・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・ 三日には東京府、神奈川、静岡、千葉、埼玉県に戒厳令が布かれ、福田大将が司令官に任命されて、以上の地方を軍隊で警備しはじめました。そのため、東京市中や市外の要所々々にも歩哨が立ち、暴徒しゅう来等の流言にびくびくしていた人たちもすっかり安・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・ さて、汽車は既に、静岡県下にはいっている。 それからの鶴の消息に就いては、鶴の近親の者たちの調査も推測も行きとどかず、どうもはっきりは、わからない。 五日ほど経った早朝、鶴は、突如、京都市左京区の某商会にあらわれ、かつて戦友だ・・・ 太宰治 「犯人」
・・・ 何でも、眉山の家は、静岡市の名門で、……」「名門? ピンからキリまであるものだな。」「住んでいた家が、ばかに大きかったんだそうです。戦災で全焼していまは落ちぶれたんだそうですけどね、何せ帝都座と同じくらいの大きさだったというんだか・・・ 太宰治 「眉山」
出典:青空文庫