・・・ 絵巻物の一画面は言わば静的である。その静的な一画面から次の画面への推移のリズムによって始めてそこに動的な効果を生じる。しかし映画の場合でもたとえばドブジェンコの「大地」などはほとんど静的な画面のモンタージュが多い。有名な「ポチョムキン・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・ この映画でいちばん自分の注意を引いたのはいろいろのシーンの静的画面の美しさである。実に美しい活人画がそれからそれと現われて来る。それがちょうど俳諧連句の句々の連珠のようなモンタージュによって次々に展開進行して行くのである。開巻第一に現・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・と同様な静的な画面をつないで行く手法が目につく。堰堤工事の起重機や汽車の運動は、見ているとめまいを起こすほどであるが、しかしその編集法はやはり静的で動的でない。 冒頭のドニエプル河畔の茫漠たる風景も静的である。こういう自然の中に生まれた・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・外の各種の舞踊に表われるような動的エネルギーの表出はなくて、すべてが静的な線と形の律動であるように思われた。 二番目の「地久」というのは、やはり四人で舞うのだが、この舞の舞人の着けている仮面の顔がよほど妙なものである。ちょっと恵比寿に似・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・弓の毛髪と振動体とが複雑な週期的相対運動をしている際に摩擦係数がはたして静的係数と動的係数との間を不連続的に往復しているのか、それとももっと複雑な変化をしているのか、これについてはまだだれも徹底的に研究した人はないようである。 クントの・・・ 寺田寅彦 「日常身辺の物理的諸問題」
・・・実際多くの連作は一つの植え込みをいろいろな角度から飽かずいつまでもながめているような趣があって、この点ではどうしても静的であり絵画的である。しかし近来の連作と見らるるものの中には事件の進行を時間的に順次に描いて行く点で、たとえば活動映画的と・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・ 第二に、アレゴリーは、静的だ。静思的だ。それだから、たとえそれが反抗的な要素によってつくられていても、直接に、大胆に暴露や批判はしない。消極性を少なからずもっている。 今日、世界唯一のプロレタリアートの国ソヴェト・ロシアは昔から、・・・ 宮本百合子 「新たなプロレタリア文学」
・・・そのために、鳥居とそのうしろの雄渾な反り橋の様式化に応じて、これらの人物は人物ながら、静的に、自身の動きを消されたものとして、衣紋さえ、こちらの群の人たちの写生風なのとは全然違った様式で統一している。 更に、思わず私たちの唇をほころばせ・・・ 宮本百合子 「あられ笹」
・・・美が固定した静的なものでなければならないという今日の若い女のひとはすくないであろう。美において動きと対照と破調と統一とを理解している心情が、幸福という言葉を、そのいきいきとして積極的なはずの美の感覚でとらえる力をもっていないとすれば、そこに・・・ 宮本百合子 「幸福の感覚」
・・・つまり孤立的な静的な自我の意識でなく、全体的綜合のうちに自らを意識し、全体的環境の発展とともに自我を新しく構成し創造して行くことを希う相関的、能動的自我の意識である。が故に文学的行動主義は必然、多分の社会性をもち、また革命主義的立場をとる。・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
出典:青空文庫