・・・当時の情勢を背景としてついにもだすにたえなかった非力な私自身の姿や、また、自身のプロレタリア作家としての階級的な不安や動揺のすべてを私に対する罵倒の中で燃しつくそうとでもするような熱烈さでかたまり飛びかかって来た人々の心持が、きょうになって・・・ 宮本百合子 「近頃の感想」
・・・しかし彼はこの部分では、分析のメスを浅くすべらせている。非力を、おのずから示して、このドストイェフスキーの狂信と洞察――むしろ直感をふわけしていない。そのところに彼の文芸史家としてのフェータルなものがひそんでいる。この。ドストイェフスキーの・・・ 宮本百合子 「ツワイク「三人の巨匠」」
・・・山口淑子の俳優としての非力は、はからずも日本のきょうの社会がまだもっている人間成長のための障害の条件そのものをむき出しているのだから。 映画の製作過程と芝居とはちがう。カメラに向って、演出者は芝居においてより遙にこまめに女優を指導するの・・・ 宮本百合子 「復活」
・・・それまでの叱責は自分の非力に起因していた。そこで文五郎氏も初めて師匠の偉さ、ありがたさを覚ったというのである。 このような気合いの統一はしかしただ三人の間に限ることではない。他の人形との間に、さらに語り手や三味線との間に、存しなくてはな・・・ 和辻哲郎 「文楽座の人形芝居」
出典:青空文庫