・・・干からびたいわゆるプロフェッサーとはだいぶ種類がちがっている。音楽家とでもいうような様子があるが、彼は実際にそうである。数学が出来ると同じ程度にヴァイオリンが出来る。充分な情緒と了解をもってモザルト、シューマン、バッハなどを演奏する……。」・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・写楽のごとき敏感な線の音楽家が特に半身像を選んだのも偶然でないと思われる。 写楽以外の古い人の絵では、人間の手はたとえば扇や煙管などと同等な、ほんの些細な付加物として取り扱われているように見える場合が多い。師宣や祐信などの絵に往々故意に・・・ 寺田寅彦 「浮世絵の曲線」
・・・の一つの試みとして音楽家ならびに音楽研究家にとっても多少の興味がありそうである。これは決して音楽を冒涜するものではなくて、音楽の領域に新しきディメンジョンを付加することの可能性を暗示するものではないかと思われる。これが、別に頼まれもせぬ自分・・・ 寺田寅彦 「踊る線条」
・・・私は日本の一流の映画家、音楽家、俳人が力を合わせて、西洋人に先鞭をつけられないうちに、一日も早くオリジナルで芸術的でしかも大衆的におもしろい俳諧連句的映画の創作に着手する事を切望するものである。・・・ 寺田寅彦 「音楽的映画としての「ラヴ・ミ・トゥナイト」」
・・・ しかし、また一方から考えると、元来多くの鳥は天性の音楽家であり、鴉でも実際かなりに色々の「歌」を唄うことが出来るばかりでなく、ロンドンの動物園にいたある大鴉などは人が寄って来ると“Who are you ?”と六かしい声で咎めるので観・・・ 寺田寅彦 「鴉と唱歌」
・・・しかし相当な音楽家と云われる人の演奏でも、どうもただ楽器から美しい旋律や和絃を引出しているというだけの感じしかしない場合が多いようである。こういう演奏には、感心はしても、感動し酔わされる事はない。いつでも楽器というものの意識が離れ得ない。・・・ 寺田寅彦 「断片(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・それだから蓄音機は潔癖な音楽家から軽視されあるいは嫌忌されるのもやむを得ない事かもしれない。私はそういう音楽家の潔癖を尊重するものではあるが、それと同時に一般の音楽愛好者が蓄音機を享楽する事をとがめてはならないと思うものである。 蓄音機・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
・・・これは全くの余談であるが、少なくもそのころ、私は音楽が好きであるにかかわらず、音楽に関係している人々からはよい印象を受けなかった。音楽家からも楽器屋の店員からも、また音楽好きの学生からも一つとしてよい印象を受けなかった。 そのころ音楽会・・・ 寺田寅彦 「二十四年前」
・・・ ホテルの食堂へはいって見ると、すぐ向うの席に有名な某音楽家の家族連れがいる。音楽家はボーイを読んで勘定を命じながら内かくしから紙入れを捜ってその中から紙幣のたばを引出した。十円札が二、三十枚もありそうである。それを眼の高さに三十センチ・・・ 寺田寅彦 「箱根熱海バス紀行」
・・・ところがその歌は下手でした。私は音楽を聞く耳も何も持たない素人ではあるがその人のうたいぶりはすこぶる不味いように感じました。あとでその人に会って感じた通り不味いと云いました。ところがその音楽家はあの演奏台に立った時、自分の足がブルブル顫える・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
出典:青空文庫