・・・たわいもなき浮世咄より、面白き流行のことに移り、芝居に飛び音楽に行きて、ある限りさまざまに心を尽しぬ。光代はただ受答えの返事ばかり、進んで口を開かんともせず。 妙なことを白状しましょうか。と辰弥は微笑みて、私はあなたの琴を、この間の那須・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・ 善によって女性の美を求め、女性の美によって善を豊かに、生彩あらしめよ。美しい娘を思うことによって、高貴なたましいになりたいと願うこころがますます刺激されるような恋愛をせよ。 音楽会に行って、美しい令嬢のピアノを弾いた知性と魅力のあ・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・ しばらく経ってから気付いたことだが、早くから来ているどの同志も、屁ばかりでなく、自分独特のくさめとせきをちアんと持っていて、それを使っていることだった。音楽的なもの、示威的なもの、嘲笑的なもの……等々。 夜になって、シーンと静まり・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・細いアンテナの線を通して伝わって来る都会の声も、その音楽も、当分は耳にすることのできないかのように。 その晩は、お徳もなごりを惜しむというふうで、台所を片づけてから子供らの相手になった。お徳はにぎやかなことの好きな女で、戯れに子供らから・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・それですぐにそのドモクレスを呼んで、さまざまの珍らしいきれいな花や、香料や、音楽をそなえた、それはそれは、立派なお部屋にとおし、出来るかぎりのおいしいお料理や、価のたかい葡萄酒を出して、力いっぱい御馳走をしました。 ドモクレスは大喜びを・・・ 鈴木三重吉 「デイモンとピシアス」
・・・プロフェッサアという小説は、さる田舎の女学校の出来事を叙したものであって、放課後、余人ひとりいないガランとした校舎、たそがれ、薄暗い音楽教室で、男の教師と、それから主人公のかなしく美しい女のひとと、ふたりきりひそひそ世の中の話を語っているの・・・ 太宰治 「音に就いて」
・・・溜息の音楽を奏して、日を数える算術をしたのである。 こう云うわけで、二つの出来事が落ち合った。小さい銀行員が漫遊から帰って来て珍らしがられると云うことが一つ、ポルジイ中尉が再びウィインの交際社会に現われたと云うことが一つである。そしてポ・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・ 音楽に対する嗜好は早くから眼覚めていた。独りで讃美歌のようなものを作って、独りでこっそり歌っていたが、恥ずかしがって両親にもそれは隠して聞かせなかったそうである。腕白な遊戯などから遠ざかった独りぼっちの子供の内省的な傾向がここにも認め・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・上野の音楽学校に開かれる演奏会の切符を売る西洋の楽器店は、二軒とも人の知っている通り銀座通りにある。新しい美術品の展覧場「吾楽」というものが建築されたのは八官町の通りである。雑誌『三田文学』を発売する書肆は築地の本願寺に近い処にある。華美な・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・すべての演奏会を謝絶した先生は、ただ自分の部屋で自分の気に向いたときだけ楽器の前に坐る、そうして自分の音楽を自分だけで聞いている。そのほかにはただ書物を読んでいる。 文科大学へ行って、ここで一番人格の高い教授は誰だと聞いたら、百人の学生・・・ 夏目漱石 「ケーベル先生」
出典:青空文庫