・・・然し悪く疲れているときなどは、それが正確な音程で聞えない。――それはいいのです。困るのはそれがもう此方の勝手では止まらなくなっていることです。そればかりではありません。それは何時の間にか私の堪らなくなる種類のものをやります。先程の婦人がそれ・・・ 梶井基次郎 「橡の花」
・・・またもし蓄音機の盤を正常な速度の二倍あるいは半分の速度で回転させれば単に曲のテンポが変わるのみならず、音程は一オクテーヴだけ高くあるいは低くなってしまうのである。東京市民を驚かせるような強震が二日に一度三日に一度ずつ襲って来るとしたらどうで・・・ 寺田寅彦 「映画の世界像」
・・・あるいはまた反響は自分の声と同じ音程音色をもっているから、それが発声器官に微弱ながらも共鳴を起こし、それが一種特異な感覚を生ずるということも可能である。 これは単なる想像である。しかしこの想像は実験によって検査し得らるる見込みがある。そ・・・ 寺田寅彦 「疑問と空想」
・・・一と月二た月ヴィオリンを手にしないでいた後に、久し振りで取出して持ってみるとそれがいかにも小さくて軽くて、とてももとのヴィオリンだとは思われないのでちょっと驚かされる。一音程に対する指頭間の距離でもまるで指と指とをくっつけなければならないよ・・・ 寺田寅彦 「断片(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・しかし音の音程や音色は実にヴァイタルな重要性をもっている。ソプラノがベースに聞こえたりうぐいすの声が鵞鳥のように聞こえるのでは打ちこわしである。前述のピストルの場合でも音の強度より音色のほうが大切である。近いピストルの音と遠いピストルの音と・・・ 寺田寅彦 「耳と目」
・・・これよりもう少し進歩したものになると互いに音程のちがった若干種類の音が使われるようになって、そこにいわゆるメロディーが生まれる。二種の高さの音をそれぞれに取り離して全く別々に聞くだけならば、振動数がかなりちがってもたいしてちがった感じの違い・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・サイレンの音よりちょっと高いだけで、終るのも、終りに近づいて音程の下ってゆく調子も、そっくりそのままに連れて、朝でも、夜でもサイレンの鳴る毎に吠え、人間はサイレンばかりをきくのとは又ちがった感情でその遠吠えを聴いているのであった。 いく・・・ 宮本百合子 「犬三態」
・・・ 完全四度の音程のその音は三角派の絵の様に奇怪なそしてどっかに心安い安らかな思いのこもった響でその余韻には鋭い皮肉がふくまれていかにも官能的な音であった。「ねえ、ワイルドの作品の様な―― 音をききすます様な目をして千世子・・・ 宮本百合子 「千世子(三)」
・・・たんだと見えて太い声が引き附けた様に浪を打って笑いこけると、その中に女の様に細いそれでも男には違いないのと、低い低い地面を這う様なのとが殊に目立ってきこえて、沢山の響の中でその二つがいつもかなり聞いい音程を作って流れて行った。 一方は痩・・・ 宮本百合子 「二十三番地」
・・・田代先生は髭のついている口を大きくあけて、男のどら声のような声で、しかし音程は正しく「空も港も夜は更けて」というような単純な歌を教えた。 その室のとなりに教員室があり、子供たちにとって、教員室というところは、なみなみの思いでは入って行け・・・ 宮本百合子 「藤棚」
出典:青空文庫