・・・この二種の物語のごときは、川ありて、門小さく、山ありて、軒の寂しき辺には、到る処として聞かざるなき事、あたかも幽霊が飴を買いて墓の中に嬰児を哺みたる物語の、音羽にも四ツ谷にも芝にも深川にもあるがごとし。かく言うは、あえて氏が取材を難ずるにあ・・・ 泉鏡花 「遠野の奇聞」
・・・ 芝居では村田実の唯円には、音羽かね子がかえでをやり、山田隆弥の唯円には岡田嘉子がかえでをやった。森君の善鸞はよくやってくれた。やはり第一幕の日野左衛門の内と、第三幕の善鸞遊興の場と、四幕の黒谷墓地とが芝居として成功する。ハンドルングが・・・ 倉田百三 「『出家とその弟子』の追憶」
・・・主婦は江戸で生まれてほとんど東京を知らず、ただ音羽の親類とお寺へ年に一度行くくらいのものであった。ほとんどわが子のように自分をかわいがってくれたが、話をすることがわからないので困った。自分の世界の事を相手が全部知っているという仮定を置いての・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・ 小石川区内では○植物園門前の小石川○柳町指ヶ谷町辺の溝○竹島町の人参川○音羽久世山崖下の細流○音羽町西側雑司ヶ谷より関口台町下を流れし弦巻川。 芝区内では○愛宕下の桜川また宇田川○芝橋かかりし入堀 赤坂区内では○溜池桐畠の溝渠・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・ どの家へ移った原因にも、みんな夫々の生活の時代が語られているのだけれど、その老松町の家に暮した時分、忘られない犬のことがある。 音羽の通りへ出るに、大塚警察の横のひろい坂をよく通った。もう十四五年にもなるから、代が変っているかもし・・・ 宮本百合子 「犬三態」
・・・時には、神田辺へ行った帰り、廻って逆に音羽通を戻って来ることなどもある。――本郷辺にいると神楽坂は全く縁遠い場所だ。どうせ電車にのって下町に出る位なら、賑かな人通りをぶらつこうと云う位なら、銀座まで一息にのす。歩く道なら大学赤門前から三丁目・・・ 宮本百合子 「茶色っぽい町」
小日向から音羽へ降りる鼠坂と云う坂がある。鼠でなくては上がり降りが出来ないと云う意味で附けた名だそうだ。台町の方から坂の上までは人力車が通うが、左側に近頃刈り込んだ事のなさそうな生垣を見て右側に広い邸跡を大きい松が一本我物顔に占めてい・・・ 森鴎外 「鼠坂」
出典:青空文庫