・・・その日、産声が室に響くようなからりと晴れた小春日和だったが、翌日からしとしとと雨が降り続いた。六畳の部屋いっぱいにお襁褓を万国旗のように吊るした。 お君はしげしげと豹一のところへやってきた。火鉢の上でお襁褓を乾かしながら、二十歳で父とな・・・ 織田作之助 「雨」
・・・私はその返事のバスに人ごとながら聴耳をたてたが、相不変曖昧な言葉が同じように鈍い調子で響くばかりで、やがて女はあきらめたようすでいなくなってしまった。 私は静かな眠った港を前にしながら転変に富んだその夜を回想していた。三里はとっくに歩い・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・です、それこそ今のおかたには想像にも及ばぬことで、じゃんと就業の鐘が鳴る、それが田や林や、畑を越えて響く、それ鐘がと素人下宿を上ぞうりのまま飛び出す、田んぼの小道で肥えをかついだ百姓に道を譲ってもらうなどいうありさまでした。 ある日樋口・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・四辺の家々より起こる叫び声、泣き声、遠かたに響く騒然たる物音、げにまれなる強震なり。 待てど二郎十蔵ともに出で来たらず、口々に宮本宮本、十蔵早く出でよと叫べども答えすらなし、人々は顔と顔と見合して愕き怪しみ、わが手を握りし岡村の手は振る・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・山沿いの木下蔭小暗きあたりを下ること少時にして、橋立川と呼ぶものなるべし、水音の涼しげに響くを聞く。それより右に打ち開けたるところを望みつつ、左の山の腰を繞りて岨道を上り行くに、形おかしき鼠色の巌の峙てるあり。おもしろきさまの巌よと心留まり・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・と云えば、それは何んだが地獄のような処でゞもあるかのように響くかも知れない。そのために、そこに打ち込まれることを恐れて、若しも運動が躊躇されると考えるものがいるとしたら、俺は神にかけて誓おう――「全く、のん気なところですよ。」と。 ・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・マサ子を板の間におろして、それから、殺気立った眼つきで私をにらみ、しばらく棒立ちになっていらして、一ことも何もおっしゃらず、やがてくるりと私に背を向けてお部屋のほうへ行き、ピシャリ、と私の骨のずいまで響くような、実にするどい強い音を立てて、・・・ 太宰治 「おさん」
・・・こんどは、打てば響くの快調を以て、即座に応答することができた。「悔恨の無い文学は、屁のかっぱです。悔恨、告白、反省、そんなものから、近代文学が、いや、近代精神が生れた筈なんですね。だから、――」また、どもってしまった。「なるほど、」と相・・・ 太宰治 「鴎」
・・・そのとどろきと交じって、砲声が間断なしに響く。 街道には久しく村落がないが、西方には楊樹のやや暗い繁茂がいたるところにかたまって、その間からちらちら白色褐色の民家が見える。人の影はあたりを見まわしてもないが、青い細い炊煙は糸のように淋し・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・こう云ったニーチェのにがにがしい言葉が今更に強く吾々の耳に響くように思われる。 彼の学校成績はあまりよくなかった。特に言語などを機械的に暗記する事の下手な彼には当時の軍隊式な詰め込み教育は工合が悪かった。これに反して数学的推理の能力は早・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
出典:青空文庫