・・・彼らの頭脳の組織は麁そこうにして覚り鈍き事その源因たるは疑うべからず」カーライルとショペンハウアとは実は十九世紀の好一対である。余がかくのごとく回想しつつあった時に例の婆さんがどうです下りましょうかと促がす。 一層を下るごとに下界に近づ・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・デカルトのかかる考といい、ライプニッツの予定調和といい、時代性とはいえ、鋭利なる頭脳に相応しからざることである。デカルトの如く我々の自己を独立の実体と考える時、神の存在との間に矛盾を起さざるを得ない。デカルトは「第三省察」において神の存在を・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・特に僕等のやうな「柔軟な頭脳」の所有者にとつては、あの幾何学公式のやうな書体で書かれた「純粋理性批判」の第一頁を読むだけでも、独逸的軍隊教育の兵式体操を課されたやうで、身体中の骨節がギシギシと痛んで来る。カントは頭痛の種である。しかし一通り・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・ 本田富次郎の頭脳が、兎に角物を言う事の出来た間中は、彼は此地方切っての辣腕家であった。 他の地主たちも、彼に倣って立入禁止を断行した。そして、累卵の危きにあるを辛うじて護る事が出来た。小作人どもは、ワイワイ云ってるだけで、何とも手・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・霊心の位するところは人体の頭脳にあり。然らばすなわち人として脩心の学を勤めざる者は、なお首なき人の如し。第八、経済学 人間衣食住の需用を論じこれを製しこれを易え、これを集め、これを散じ、人の知識礼義を進めて需用の物を饒にする・・・ 福沢諭吉 「学校の説」
・・・儚い自分、はかない制限された頭脳で、よくも己惚れて、あんな断言が出来たものだ、と斯う思うと、賤しいとも浅猿しいとも云いようなく腹が立つ。で、ある時小川町を散歩したと思い給え。すると一軒の絵双紙屋の店前で、ひょッと眼に付いたのは、今の雑誌のビ・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・併し夏に比すると頭脳にしまりがあって精神がさわやかな時が多いので夏程に煩悶しないようになった。 正岡子規 「死後」
・・・ 一つの学校の中で、優秀な細胞があり、自治会があり、そこに属す学生はすべて頭脳明晰だということだけが、その学校全体の学生の精神水準を示すとは云いきれないし、日本の青年の進歩の総和的な標準だとはいえません。東大でも、伊藤ハンニまがいの山師・・・ 宮本百合子 「新しい抵抗について」
・・・ 綾小路は目と耳とばかりで生活しているような男で、芸術をさえ余り真面目には取り扱っていないが、明敏な頭脳がいつも何物にか饑えている。それで故郷へ帰って以来引き籠り勝にしている秀麿の方からは、尋ねても行かぬのに、折々遊びに来て、秀麿の読ん・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・時として感覚派の多くの作品は古き頭脳の評者から「拵えもの」なる貶称を冠せられる。が、「拵えもの」は何故に「拵えもの」とならなければならないか。それは一つの強き主観の所有者が古き審美と習性とを蹂躪し、より端的に世界観念へ飛躍せんとした現象の結・・・ 横光利一 「新感覚論」
出典:青空文庫