・・・ が、その小蒸汽の影も見えなくなって、河岸縁に一人取残された自分の頼りない姿に気がつくと、私はきゅうに何とも言えぬ寂しい哀愁を覚えた。そうしてしみじみ故郷が恋しかった。 * * * 万年屋の女房はすっかり・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・それじゃ便りのなかったのも無理はないね」「便りがしたくたって、便りのしようがねえんだもの」 女は頷いて、「それからどうしたの?」「それから、間もなく露西亜の猟船というのがやって来たんだ。ところが、向うの船は積荷が一杯で、今度は載・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・にそのことを打ち明けると、谷口さんもひどく乗気になってくれて、その翌日弁当ごしらえをして、二人掛りで一日じゅう大阪じゅうを探し歩きましたが、何しろ秋山という名前と、もと拾い屋をしていたという知識だけが頼りですから、まるで雲を掴むような話、迷・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・クラ/\と今にも打倒れそうな疲れた頼りない気持であった。歯のすり減った下駄のようになった日和を履いて、手の脂でべと/\に汚れた扇を持って、彼はひょろ高い屈った身体してテク/\と歩いて行った。それは細いだら/\の坂路の両側とも、石やコンクリー・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・ こんな、便りない、哀れな心持のものがあろうか! 空想を失ってしまった詩人、早発性痴呆に陥った天才にも似ている! この空想はいつも私を悲しくする。その全き悲しみのために、この結末の妥当であるかどうかということさえ、私にとっては問題ではな・・・ 梶井基次郎 「愛撫」
・・・憲兵や警官のみならず、人間にはそういう頼りにならぬ一面が得てありがちなことだ。それ位いなことは、彼にも分らないことはなかった。それでも、何故か、彼は、腹の虫がおさまらなかった。憲兵が、横よこねで跛を引きながら病院へやって来たことを云って面罵・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・よくあの時に無分別をもしなかったことだと悦こんでみたり、また、これほどに思い込んでいたものでも、無い縁は是非が無いで今に至ったが、天の意というものはさて測られないものではあると、なんとなく神さまにでも頼りたいような幽微な感じを起したりするば・・・ 幸田露伴 「太郎坊」
・・・だから頼りになりそうな山崎のお母さんと話し込むと、正体がないほど弱くなってしまうの。 窪田が二十日程して釈放された。すると、直ぐ家へやって来てこんなに大衆的にやられている時に、遺族のものたちをバラ/\にして置いては悪いと云うので、即・・・ 小林多喜二 「母たち」
・・・その後、先生が高輪の教会の牧師をして、かたわらある女学校へ教えに行った時分、誰か桜井の家名を継がせるものをと思って――その頃は先生も頼りにする子が無かったから――養子の話まで仄めかして見たのも高瀬だった。その高瀬が今度は塾の教員として、先生・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・ひとに頼りすぎた。ひとのちからを過信した。そのことも、また、そのほかの恥ずかしい数々の私の失敗も、私自身、知っている。私は、なんとかして、あたりまえのひとの生活をしたくて、どんなに、いままで努めて来たか、おまえにも、それは、少しわかっていな・・・ 太宰治 「姥捨」
出典:青空文庫