・・・彼等の関心は、東京の文化と、東京を通じて輸入される外来思想とのみに存して、自分たちの故郷の天地山川や人情風俗は、眼中にないかの如くである。で、もしこれらの文学青年がああ云う勿体ないことをする暇があったら、東京へ出て互いに似たり寄ったりの党派・・・ 織田作之助 「東京文壇に与う」
・・・島の人というとどこか風俗にも違ったところがあった。女の人が時々家へも来ることがあったが、その人は着物の着つぶしたのや端ぎれを持って帰るのだ。そのかわりそんなきれを鼻緒に巻いた藁草履やわかめなどを置いて行ってくれる。ぐみややまももの枝なりをも・・・ 梶井基次郎 「海 断片」
・・・そんな風俗画は、町がどこをどう帰っていいかわからなくなりはじめるにつれて、だんだん美しくなった。自分のまだ一度も踏まなかった路――そこでは米を磨いでいる女も喧嘩をしている子供も彼を立ち停まらせた。が、見晴らしはどこへ行っても、大きな屋根の影・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・一体土地の風俗温和にていやしからず。中学は東京の大学に似たれど、警察署は耶蘇天主堂に似たり。ともかくも青森よりは遥によろしく、戸数も多かるべし。肴町十三日町賑い盛なり、八幡の祭礼とかにて殊更なれば、見物したけれど足の痛さに是非もなし。この日・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・其題に曰く学術技科の進闡せしをば人の心術風俗に於て益有りしと為す乎将た害ありしと為す乎とルーソー之を読みて神気俄に旺盛し、意思頓に激揚し自ら肺腸の一変して別人と成りしを覚え、殆ど飛游して新世界に跳入せしが如し。因て急に鉛筆を執りファプリシュ・・・ 幸徳秋水 「文士としての兆民先生」
・・・が凄まじいものなり俊雄は二月三月は殊勝に消光たるが今が遊びたい盛り山村君どうだねと下地を見込んで誘う水あれば、御意はよし往なんとぞ思う俊雄は馬に鞭御同道仕つると臨時総会の下相談からまた狂い出し名を変え風俗を変えて元の土地へ入り込み黒七子の長・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・そろそろ女の洋服がはやって来て、女学校通いの娘たちが靴だ帽子だと新規な風俗をめずらしがるころには、末子も紺地の上着に襟のところだけ紫の刺繍のしてある質素な服をつくった。その短い上着のまま、早い桃の実の色した素足を脛のあたりまであらわしながら・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・でも、少年は悲しく緊張して、その風俗が、そっくり貴公子のように見えるだろうと思っていたのです。久留米絣に、白っぽい縞の、短い袴をはいて、それから長い靴下、編上のピカピカ光る黒い靴。それからマント。父はすでに歿し、母は病身ゆえ、少年の身のまわ・・・ 太宰治 「おしゃれ童子」
・・・ あえて蠅に限らず動植鉱物に限らず、人間の社会に存するあらゆる思想風俗習慣についても、やはり同じようなことがいわれはしないか。 たとえば野獣も盗賊もない国で、安心して野天や明け放しの家で寝ると、風邪を引いて腹をこわすかもしれない。○・・・ 寺田寅彦 「蛆の効用」
・・・是亦明治風俗史の一資料たることを失わない。殊に根津遊廓のことに関しては当時の文書にして其沿革を細説したものが割合に少いので、わたくしは其長文なるを厭わず饒歌余譚の一節をここに摘録する事とした。徒に拙稿の紙数を増して売文の銭を貪らんがためでは・・・ 永井荷風 「上野」
出典:青空文庫