あすかがわ【飛鳥川】
奈良県中部を流れる川。高取山に源を発し、畝傍 (うねび) 山と天香具山の間を流れ、大和川に注ぐ。昔は流れの変化が激しかったので、定めなき世のたとえとされた。また、同音の「明日」の掛け詞や枕詞としても用いた。[歌枕]「世の中はなにか常なる—昨日の淵ぞ今日は瀬になる」〈古今・雑下〉 「—明日も渡らむ石橋の遠き心は思ほえぬかも」〈万・二七〇一〉 謡曲。四番目物。金剛・喜多流。世阿弥作。母に生き別れた少年友若は、飛鳥川のほとりで尋ねる母に再会する。
あすかきょうあと【飛鳥京跡】
明日香村(奈良県高市郡)にある飛鳥時代の遺跡。6世紀末から7世紀にかけて歴代の天皇が営んだ宮を中心とする地区で、豊浦宮・小墾田宮・飛鳥岡本宮・飛鳥板蓋宮・飛鳥川辺行宮・飛鳥川原宮・後飛鳥岡本宮・飛鳥浄御原宮などがあったとされる。明日香村法による歴史的風土保存地区に指定されている。飛鳥宮跡。
あすかきよみはらりつりょう【飛鳥浄御原律令】
天武天皇10年(681)編集を命じ、持統天皇3年(689)に施行した法令。令22巻は大宝律令の基礎となった。律は巻数・施行時期とも不明。浄御原令 (きよみはらりょう) 。→律令
あすかじだい【飛鳥時代】
6世紀末から7世紀にかけて、飛鳥地方を都とした推古朝を中心とする時代。→推古時代
あすかだいぶつ【飛鳥大仏】
明日香村の安居院 (あんごいん) にある金銅製丈六の釈迦如来像。推古天皇14年(606)元興寺 (がんごうじ) 金堂の本尊として鞍作止利 (くらつくりのとり) が製作。
あすかでら【飛鳥寺】
明日香村にあり、元興寺・法興寺などと呼ばれた寺。推古天皇4年(596)蘇我馬子 (そがのうまこ) の建立と伝えられる。平城遷都に伴い平城京に元興寺建立後は本元興寺と呼ばれた。現在、安居院と飛鳥大仏が残る。
あすかのいたぶきのみや【飛鳥板蓋宮】
明日香村にあったとされる、皇極・斉明天皇の皇居。大化の改新で蘇我入鹿 (そがのいるか) が殺害された場所。
あすかのおかもとのみや【飛鳥岡本宮】
明日香村にあったとされる、舒明 (じょめい) ・斉明天皇の皇居。
あすかのかわらのみや【飛鳥川原宮】
明日香村にあったとされる、斉明天皇の皇居。
あすかのきよみはらのみや【飛鳥浄御原宮】
明日香村にあったとされる、天武天皇の皇居。