・・・「食えるかい、お前、膃肭獣なんぞが?」 お蓮は牧野にこう云われても、無理にちょいと口元へ、微笑を見せたばかりだった。が、田宮は手を振りながら、すぐにその答えを引き受けた。「大丈夫。大丈夫だとも。――ねえ、お蓮さん。この膃肭獣と云・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・「遊んでいて飯が食えると自由自在にそんな気持ちも起こるだろうな」 何を太平楽を言うかと言わんばかりに、父は憎々しく皮肉を言った。「せめては遊びながら飯の食えるものだけでもこんなことを言わなければ罰があたりますよ」 彼も思わず・・・ 有島武郎 「親子」
・・・棺のこっちにこの椅子をおいて……これをここに、おい青島……それをそっちにやってくれ……おいみんな手伝えな……一時間の後には俺たちはしこたまご馳走が食える身分になるんだ。生蕃、そんな及び腰をするなよ。みっともない。……これでだいたいいい……さ・・・ 有島武郎 「ドモ又の死」
・・・何でも好きなものが食えるんだからなあ。初めの間は腹のへって来るのが楽みで、一日に五回ずつ食ってやった。出掛けて行って食って来て、煙草でも喫んでるとまた直ぐ食いたくなるんだ。A 飯の事をそう言えや眠る場所だってそうじゃないか。毎晩毎晩同じ・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・自由と活動と、この二つさえあれば、べつに刺身や焼肴を注文しなくとも飯は食えるのだ。 予はあくまでも風のごとき漂泊者である。天下の流浪人である。小樽人とともに朝から晩まで突貫し、小樽人とともに根限りの活動をすることは、足の弱い予にとうてい・・・ 石川啄木 「初めて見たる小樽」
・・・こんなものが食えるものかと、お君の変心を怒りながら、箸もつけずに帰ってしまった。そのことを夕飯のとき軽部に話した。 新聞を膝の上に拡げたままふんふんと聴いていたが、話が唇のことに触れると、いきなり、新聞がばさりと音を立て、続いて箸、茶碗・・・ 織田作之助 「雨」
・・・旅費はもうできたが、彼地へ行って三月ばかりは食えるだけの金を持っていなければ困るだろうと思う。だから僕は父に頼んで来年の三月までの給料は全部僕が貰うことにした。だから四月早々は出立るだろうと思う」 桂正作の計画はすべてこの筆法である。彼・・・ 国木田独歩 「非凡なる凡人」
・・・これは元来が動物質だから食えるものである。で、飯綱は仮名ちがいの擬字で、これがあるからの飯沙山である。そういうちょっと異なものがあったから、古く保食神即ち稲荷なども勧請してあったかも知れぬ。ところが荼吉尼法は著聞集に、知定院殿が大権坊という・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・日本の山椒魚は、あのヤマメという魚を食っているのですが、どうしてあんな敏捷な魚をとって食えるか、不思議なくらいであります。それにはあの山椒魚の皮膚の色がたいへん役立っているようであります。かれが谷川の岩の下に静かに身を沈めていると、泥だか何・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・私の身のうちに、まだ、どこか食えるところがあるならば、どうか勝手に食って下さい、と寝ころんでいる。食えるところがまだあった。かれは地主のせがれであり、月々のくらしには困っていない。なんらかの素因で等しく世に敗れ、廃人よ、背徳者よとゆび指され・・・ 太宰治 「花燭」
出典:青空文庫