・・・保吉は食後の紅茶を前に、ぼんやり巻煙草をふかしながら、大川の向うに人となった二十年前の幸福を夢みつづけた。…… この数篇の小品は一本の巻煙草の煙となる間に、続々と保吉の心をかすめた追憶の二三を記したものである。 二 道の・・・ 芥川竜之介 「少年」
・・・と大食と食後の早足運動を力説した。 鴎外の日本食論、日本家屋論は有名なものだ。イツだっけか忘れたが、この頃は馬鹿に忙がしいというから、何が忙がしいかと訊くと、毎日々々壁土の分析ばかりしているといった。この研究が即ち日本家屋論の一部であっ・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・結局は甲冑の如く床の間に飾られ、弓術の如く食後の腹ごなしに翫ばれ、烏帽子直垂の如く虫干に昔しを偲ぶ種子となる外はない。津浪の如くに押寄せる外来思想は如何なる高い防波堤をも越して日一日も休みなく古い日本の因襲の寸を削り尺を崩して新らしい文明を・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・私は療養書の注意を守って、食後の安静に、畳の上に寝そべっていた。 虫の声がきこえて来た。背中までしみ透るように澄んだ声だった。 すっと、衣ずれの音がして、襖がひらいた。熱っぽい体臭を感じて、私はびっくりして飛び上った。隣室の女がはい・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・これも食後の涼みらしかった。峻に気を兼ねてか静かに話をしている。 口で教えるのにも気がひけたので、彼はわざと花火のあがる方を熱心なふりをして見ていた。 末遠いパノラマのなかで、花火は星水母ほどのさやけさに光っては消えた。海は暮れかけ・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・そして吉田はあるときその娘が毎日食後に目高を五匹宛嚥んでいるという話をきいたときは「どうしてまたそんなものを」という気持がしてにわかにその娘を心にとめるようになったのだが、しかしそれは吉田にとってまだまだ遠い他人事の気持なのであった。 ・・・ 梶井基次郎 「のんきな患者」
・・・ 昼食後、井村は、横坑の溝のところに来て、小便をしていた。カンテラが、洞窟の土の上や、岩の割れ目に点々と散らばって薄暗く燃えていた。「今頃、しゃばへ出りゃ、お日さんが照ってるんだなア。」声変りがしかけた市三だった。「そうさ。」・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
・・・ 熊吉は黙し勝ちに食っていた。食後に、おげんは自分の側に来て心配するように言う熊吉の低い声を聞いた。「姉さん、私と一緒にいらっしゃい――今夜は小間物屋の二階の方へ泊りに行きましょう」 おげんは点頭いた。 暗い夜が来た。おげん・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・ ひとりで貧しい食事をしたため、葡萄酒を二杯飲んだ。食後の倦怠は、人を、「どうとも勝手に」という、ふてぶてしい思いに落ちこませるものである。決闘ということが、何だか、食後の運動くらいの軽い動作のように思われて来た。やってみようかなあ。私・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・大めし食って、食後の運動のつもりであろうか、下駄をおもちゃにして無残に噛み破り、庭に干してある洗濯物を要らぬ世話して引きずりおろし、泥まみれにする。「こういう冗談はしないでおくれ。じつに、困るのだ。誰が君に、こんなことをしてくれとたのみ・・・ 太宰治 「畜犬談」
出典:青空文庫