・・・すなわち、ある食物が鳥の食欲を刺激してそれを獲得するに必要な動作を誘発しうるためには単に嗅覚の刺激ばかりでは不充分であって、そのほかに視覚なりあるいは他の感覚なり、もう一つの副条件が具足することが肝要であるかもしれないのである。 あるい・・・ 寺田寅彦 「とんびと油揚」
・・・ともかくもこのゴロゴロは人間などが食欲の満足に対する予想から発する一種の咽喉の雑音などとは本質的にも違ったものらしく思われる。 この音は私にいろいろな音を連想させる。海の中にもぐった時に聞こえる波打ちぎわの砂利の相摩する音や、火山の火口・・・ 寺田寅彦 「ねずみと猫」
・・・次第に食欲がなくなり元気がなくなった。医師に見てもらうとこれは胸に水を持ったので治療の方法がないとの事であった。この宣告は自分たちの心を暗くした。そのころはもう一日ほとんど動かずに行儀よくすわっていて、人が呼ぶとまぶしそうな目をしばたたいて・・・ 寺田寅彦 「備忘録」
・・・ちょっと清潔に簡便に食欲を満足させ、そうして時間をつぶすに適当なようにできている。普通の日本人の食事時間でない時でも不断ににぎわっている。草花鉢を飾ったり、夏は花を封じ込めた氷塊がいくつもすえられていて、天井には大きな扇風器が回っている。田・・・ 寺田寅彦 「丸善と三越」
・・・からだのわりに旺盛な彼らの食欲は、多数の小枝を坊主にしてしまうまでは満足されなかった。紅葉が美しくなるころには、もう活動はしなかったようである。とにかく私は日々に変わって行く葉の色彩に注意を奪われて、しばらく簔虫の存在などは忘れていた。・・・ 寺田寅彦 「簔虫と蜘蛛」
・・・ひところはやった玄米パン売りの、メガフォーンを通して妙にぼやけた、聞くだけで咽喉の詰まるような、食欲を吹き飛ばすようなあのバナールな呼び声も、これは幸いにさっぱり聞かなくなってしまった。 つい二三年前までは毎年初夏になるとあの感傷的な苗・・・ 寺田寅彦 「物売りの声」
・・・せっかく食欲を満足したあとでアイスやコーヒーを味わいかけていい心持ちになっている時分に、これが始まるのである。あまりおもしろくもないあるいはむしろ不愉快な演説を我慢して聞くのはまだいいとしても、時によると幹事とか世話人から「指名」などと言っ・・・ 寺田寅彦 「路傍の草」
・・・どうか食欲をうまく保つよう御工夫下さい。スープは栄養よりもアッペタイトを刺戟するのでよいのだそうだけれども。ゆっくり手紙が書きたいけれども、私はまだ仕事が一しきり片づいていないので、このハガキで間に合わせます。テッちゃんが会いたがって、きょ・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・同時に食欲以上旺盛な観察欲というものに支配されているのだということを御承知である。 計らずその欲求を刺戟するものに出会ったので、我々は尠からず活気づいた。見るともなく見ていると、彼等は輝く禿と派手な帽子の頂とをつき合わせて睦じく献立を選・・・ 宮本百合子 「三鞭酒」
出典:青空文庫