・・・浜子は私めずらしさにももうそろそろ飽きてきた時だったのでしょう。夜、父が寄席へ出かけた留守中、浜子は新次からお午や榎の夜店見物をせがまれると、留守番がないからと言ってちらりと私の顔を見る。そんな時、わい夜店は眠うなるさかい嫌やと、心にもない・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・フランスのように多くの古典を伝統として持っている国ですら、つねに古典への反逆が行われ、老大家のオルソドックスに飽き足らぬアヴァンギャルド運動から二百一人目の新人が飛び出すのではあるまいか。ジュリアン・バンダがフランス本国から近著した雑誌で、・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・「もう飽きた?」「飽きちゃった……」 幾度か子供等に催促されて、彼はよう/\腰をおこして、好い加減に酔って、バーを出て電車に乗った。「何処へ行くの?」「僕の知ってる下宿へ」「下宿? そう……」 子供等は不安そうに・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・ 此の時分から彼は今まで食べていた毎日の食物に飽きたと言い、バターもいや、さしみや肉類もほうれん草も厭、何か変った物を考えて呉れと言います。走りの野菜をやりましたら大変喜びましたが、これも二日とは続けられません。それで今度はお前から注文・・・ 梶井久 「臨終まで」
・・・ いやでござりますともさすがに言いかねて猶予う光代、進まぬ色を辰弥は見て取りて、なお口軽に、私も一人でのそのそ歩いてはすぐに飽きてしまってつまらんので、相手欲しやと思っていたところへここにおいでなさったのはあなたの因果というもの、御迷惑・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・ 足をばたばたやって大声を上げて泣いて、それで飽き足らず起上って其処らの石を拾い、四方八方に投げ付けていた。 こう暴れているうちにも自分は、彼奴何時の間にチョーク画を習ったろう、何人が彼奴に教えたろうとそればかり思い続けた。 泣・・・ 国木田独歩 「画の悲み」
・・・一度、本を読むのに飽きたので、独房の壁の中を撫でまわして、落書を探がしたことがある。独房は警察の留置場とちがって、自分だけしか入っていないし、時々点検があるので、落書は殆んどしていない。然し、それでも俺はしばらくして、色んな隅ッこから何十と・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・「ここの家には飽きちゃった。」 と言い出すのは三郎だ。「とうさん、僕と三ちゃんと二人で行ってさがして来るよ。いい家があったら、とうさんは見においで。」 次郎は次郎でこんなふうに引き受け顔に言って、画作の暇さえあれば一人でも借・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・兄も、私も、その人ごみのうしろに永いこと立ちどまり、繰り返し繰り返し綴られる同じ文章を、何度でも飽きずに読むのである。 とうとう兄は、銀座裏の、おでんやに入った。兄は私にも酒を、すすめた。「よかった。これで、もう、いいのだ。」兄は、・・・ 太宰治 「一燈」
・・・若い時分、盛んにいわゆる少女小説を書いて、一時はずいぶん青年を魅せしめたものだが、観察も思想もないあくがれ小説がそういつまで人に飽きられずにいることができよう。ついにはこの男と少女ということが文壇の笑い草の種となって、書く小説も文章も皆笑い・・・ 田山花袋 「少女病」
出典:青空文庫