・・・晩食には湖水でとれた鯉の洗いを馳走してくれ、美人の唇もむろん昼ほどは固くなく、予は愉快な夢を見たあとのような思いで陶然として寝についた。 伊藤左千夫 「河口湖」
・・・この日も鷹見は、帰路にぜひ寄れと勧めますから、上田とともに三人連れ立って行って、夫人のお手料理としては少し上等すぎる馳走になって、酒も飲んで「あの時分」が始まりましたが、鷹見はもとの快活な調子で、「時に樋口という男はどうしたろう」と話が・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・小笠原拓殖事業にひどく感服して、わざわざ書面を送って田中に敬意を表したところ、田中がまたすぐ礼状を出してそれが桂の父に届いたという一件、またある日正作が僕に向かい、今から何カ月とかすると蛤をたくさんご馳走するというから、なぜだと聞くと、父が・・・ 国木田独歩 「非凡なる凡人」
・・・「うん、田舎風の御馳走が来たぞ。や、こいつはうまからず」 と直次も姉の前では懐しい国言葉を出して、うまそうな里芋を口に入れた。その晩はおげんは手が震えて、折角の馳走もろくに咽喉を通らなかった。 熊吉は黙し勝ちに食っていた。食後に・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・わたくしはジャズ模倣の踊をする踊子の楽屋で、三社祭の強飯の馳走に与かろうとは、全くその時まで夢にも予想していなかったのだ。 踊子の栄子と大道具の頭の家族が住んでいた家は、商店の賑かにつづいた、いつも昼夜の別なくレコードの流行歌が騒々しく・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・人間より遙かに敏い瞳と、本能を持った彼等が、幾何、一面の苔の間に落ちたとは云え、自分等の好む、餌の馳走を心付かぬことはあるまい。 真先に屋根から降りる先達は、どの雀がつとめるだろう。 庭へついと、遠い遠い彼方の空の高みから、一羽の小・・・ 宮本百合子 「餌」
・・・知県の官舎で休んで、馳走になりつつ聞いてみると、ここから国清寺までは、爪尖上がりの道がまた六十里ある。往き着くまでには夜に入りそうである。そこで閭は知県の官舎に泊ることにした。 翌朝知県に送られて出た。きょうもきのうに変らぬ天気である。・・・ 森鴎外 「寒山拾得」
・・・席上には酒肴を取り寄せ、門人等に馳走した。然るに門人中坐容を崩すものがあったのを見て、大喝して叱した。遊所に足を容るることをば嫌わず、物に拘らぬ人で、その中に謹厳な処があった。」 森鴎外 「細木香以」
・・・「なんでも江戸の坊様に御馳走をしなくちゃあならないというので、蕎麦に鳩を入れて食わしてくれたっけ。鴨南蛮というのはあるが、鳩南蛮はあれっきり食った事がねえ。」「そうしていると打毀という奴が来やがった。浪人ものというような奴だ。大勢で・・・ 森鴎外 「里芋の芽と不動の目」
・・・ そのうち刀が出来て来たので、伊織はひどく嬉しく思って、あたかも好し八月十五夜に、親しい友達柳原小兵衛等二三人を招いて、刀の披露旁馳走をした。友達は皆刀を褒めた。酒酣になった頃、ふと下島がその席へ来合せた。めったに来ぬ人なので、伊織は金・・・ 森鴎外 「じいさんばあさん」
出典:青空文庫