・・・それは電燈の光線のようなものでは駄目だ。月の光が一番いい。何故ということは言わないが、――というわけは、自分は自分の経験でそう信じるようになったので、あるいは私自身にしかそうであるのに過ぎないかもしれない。またそれが客観的に最上であるにした・・・ 梶井基次郎 「Kの昇天」
・・・ その時、神崎様が巻煙草の灰を掌にのせて、この灰が貴女には妙と見えませんかと聞くから、私は何でもないというと、だから貴女は駄目だ、凡そ宇宙の物、森羅万象、妙ならざるはなく、石も木もこの灰とても面白からざるはなし、それを左様思わないのは科学の・・・ 国木田独歩 「恋を恋する人」
・・・初め鈍いように見える者が刻苦して大成した人は多いが、初め才能があってそれを恃んで刻苦しないために駄目になった者も多い。素質のいい才はじけぬ人が絶え間なく刻苦するのが一番いいらしい。アララギ派の元素伊藤左千夫氏は正岡子規の弟子のうち一番鈍才で・・・ 倉田百三 「芸術上の心得」
・・・ 昨年、私たちの地方では、水なしには育たない稲ばかりでなく、畑の作物も──どんな飢饉の年にも旱魃にもこれだけは大丈夫と云われる青木昆陽の甘藷までがほとんど駄目だった。村役場から配布される自治案内に、七分搗米に麦をまぜて食えば栄養摂取が十・・・ 黒島伝治 「外米と農民」
・・・魚が来てカカリへ啣え込んだのか、大芥が持って行ったのか、もとより見ぬ物の正体は分りませんが、吉はまた一つ此処で黒星がついて、しかも竿が駄目になったのを見逃しはしませんで、一層心中は暗くなりました。こういうこともない例ではありませんが、飽まで・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・面会に行ったら、食えなくなったら仲間の人に頼んでみれ、それも長続きしなかったら、親類のところへ追い出される迄転ろげこんで居れ、それも駄目になったら、男さ身体売ったってえゝと云うんです。そして手の甲を蟹の鋏のように赤く大きくふくれ上らせている・・・ 小林多喜二 「母たち」
・・・に参りて元からが不等辺三角形の眼をたるませどうだ山村の好男子美しいところを御覧に供しようかねと撃て放せと向けたる筒口俊雄はこのごろ喫み覚えた煙草の煙に紛らかしにっこりと受けたまま返辞なければ往復端書も駄目のことと同伴の男はもどかしがりさてこ・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・ とその人は元気な調子で言って、更に語を継いで、「もう私は士族は駄目だという論だ。小諸ですこし骨ッ柱のある奴は塾の正木ぐらいなものだ」 学士と高瀬はしばらくその人の前に立った。「御覧なさい、御城の周囲にはいよいよ滅亡の時期が・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・こんなことをいったって駄目ね。なんと云ったって、お前さんはそう思っているのだろうから。(次ぎに上沓これがあの人のよ。この鬱金香の花はわたしが縫取をして、それを職人にしたてさせたのよ。わたし鬱金香が大嫌いさ。だけれどあの人はな・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:森鴎外 「一人舞台」
・・・暗いと、こわくて駄目なんだ。蝋燭が無いかね。蝋燭をつけてくれたら、飲んでもいい。」 キクちゃんは黙って起きた。 そうして、蝋燭に火が点ぜられた。私は、ほっとした。もうこれで今夜は、何事も仕出かさずにすむと思った。「どこへ置きまし・・・ 太宰治 「朝」
出典:青空文庫