・・・それも高田群兵衛などになると、畜生より劣っていますて。」 忠左衛門は、眉をあげて、賛同を求めるように、堀部弥兵衛を見た。慷慨家の弥兵衛は、もとより黙っていない。「引き上げの朝、彼奴に遇った時には、唾を吐きかけても飽き足らぬと思いまし・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・ 発行所の下の座敷には島木さん、平福さん、藤沢さん、高田さん、古今書院主人などが車座になって話していた。あの座敷は善く言えば蕭散としている。お茶うけの蜜柑も太だ小さい。僕は殊にこの蜜柑にアララギらしい親しみを感じた。 島木さんは大分・・・ 芥川竜之介 「島木赤彦氏」
・・・外の壁へは、高田先生に書いていただいた、「ただで、手紙を書いてあげます」という貼紙をしたので、直ちに多くの人々がこの窓の外に群がった。いよいよはがきに鉛筆を走らせるまでには、どうにか文句ができるだろうくらいな、おうちゃくな根性ですましていた・・・ 芥川竜之介 「水の三日」
・・・坪内逍遥や高田半峰の文学論を読んでも、議論としては感服するが小説その物を重く見る気にはなれなかった。 私が初めて甚深の感動を与えられ、小説に対して敬虔な信念を持つようになったのはドストエフスキーの『罪と罰』であった。この『罪と罰』を読ん・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・早稲田大学は本と高田、天野、坪内のトライアンビレートを以て成立した。三君各々相譲らざる功労がある。シカシ世間が早稲田を認めるのは、政治科及び法律科が沢山の新聞記者や代議士や実業家を輩出したにも関らず、政治科でも法律科でもなくて文学科である。・・・ 内田魯庵 「明治の文学の開拓者」
・・・を素直に悲しむことを妨げ、かえって懸命に茶化して、しさいらしく珠数を爪繰っては人を笑わせ、愚僧もあの婦人には心が乱れ申したわい、お恥かしいが、まだ枯れて居らん証拠じゃのう、などと言い、私たちを誘って、高田の馬場の喫茶店へ蹌踉と乗り込むのでし・・・ 太宰治 「兄たち」
・・・新入の患者あるごとに、ちくおんき、高田浩吉、はじめる如し。一、事務所のほうからは、決して保証人へ来いと電話せぬ。むこうのきびしく、さいそくせぬうちは、永遠に黙している。たいてい、二年、三年放し飼い。みんな、出ること許り考えている。一・・・ 太宰治 「HUMAN LOST」
・・・昔は将棋を試みた事もあり、また筆者などと一緒に昔の本郷座で川上、高田一座の芝居を見たこともありはしたが、中年以後から、あらゆる娯楽道楽を放棄して専心ただ学問にのみ没頭した。人には無闇に本を読んでも駄目だと云ってはいたが、実によく読書し、また・・・ 寺田寅彦 「工学博士末広恭二君」
・・・東の方は本郷と相対して富坂をひかえ、北は氷川の森を望んで極楽水へと下って行き、西は丘陵の延長が鐘の音で名高い目白台から、『忠臣蔵』で知らぬものはない高田の馬場へと続いている。 この地勢と同じように、私の幼い時の幸福なる記憶もこの伝通院の・・・ 永井荷風 「伝通院」
・・・すると先生は、高田さんこっちへおはいりなさいと言いながら五年生の列のところへ連れて行って、丈を嘉助とくらべてから嘉助とそのうしろのきよの間へ立たせました。 みんなはふりかえってじっとそれを見ていました。 先生はまた玄関の前に戻って、・・・ 宮沢賢治 「風の又三郎」
出典:青空文庫