・・・私は高知から来た一人の下女を持っています。非常に面白い下女で、私のところに参りましてから、いろいろの世話をいたします。ある時はほとんど私の母のように私の世話をしてくれます。その女が手紙を書くのを側で見ていますと、非常な手紙です。筆を横に取っ・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・ 先生、姓は中江、名は篤介、兆民は其号、弘化四年土佐高知に生れ、明治三十五年、五十五歳を以て東京に歿した。二 先生の文は殆ど神品であった。鬼工であった、予は先生の遺稿に対する毎に、未だ曽て一唱三嘆、造花の才を生ずるの甚だ・・・ 幸徳秋水 「文士としての兆民先生」
・・・郷里高知の大高坂城の空を鳴いて通るあのほととぎすに相違ない。それからまた、やはり夜明けごろに窓外の池の汀で板片を叩くような音がする。間もなく同じ音がずっと遠くから聞こえる。水鶏ではないかと思う。再び眠りに落ちてうとうとしながら、古い昔に死ん・・・ 寺田寅彦 「浅間山麓より」
幼少のころ、高知の城下から東に五六里離れた親類の何かの饗宴に招かれ、泊まりがけの訪問に出かけたことが幾度かある。饗宴の興を添えるために来客のだれかれがいろいろの芸尽くしをやった中に、最もわれわれ子供らの興味を引いたものは、・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・ 一 その怪異の第一は、自分の郷里高知付近で知られている「孕のジャン」と称するものである。孕は地名で、高知の海岸に並行する山脈が浦戸湾に中断されたその両側の突端の地とその海峡とを込めた名前である。この現象について・・・ 寺田寅彦 「怪異考」
・・・にはやはり父に連れられて高知浦戸湾の入口に臨む種崎の浜に間借りをして出かけた。以前に宅に奉公していた女中の家だったか、あるいはその親類の家だったような気がする。夕方この地方には名物の夕凪の時刻に門内の広い空地の真中へ縁台のようなものを据えて・・・ 寺田寅彦 「海水浴」
・・・ 高知近傍には寒竹の垣根が多い。隙間なく密生しても活力を失わないという特徴があるために垣根の適当な素材として選ばれたのであろう。あれは何月頃であろうか。とにかくうすら寒い時候に可愛らしい筍をにょきにょきと簇生させる。引抜くと、きゅうっき・・・ 寺田寅彦 「郷土的味覚」
・・・ 土佐の高知の播磨屋橋のそばを高架電車で通りながら下のほうをのぞくと街路が上下二層にできていて堀川の泥水が遠い底のほうに黒く光って見えた。 四つ辻から二軒目に緑屋と看板のかかったたぶん宿屋と思われる家がある。その狭い入り口から急な階・・・ 寺田寅彦 「三斜晶系」
・・・ 高知市附近で「鴫突き」というのは、蜻とんぼを捕えるのと同じ恰好の叉手形の網で、しかもそれよりきわめて大形のを遠くから勢いよく投げかけて、冬田に下りている鴫を飛び立つ瞬間に捕獲する方法である。「突く」というのは投槍のように網を突き飛ばす・・・ 寺田寅彦 「鴫突き」
・・・ そのころ郷里高知では正月の十四日の晩に子供らが「粥釣り」と称して近所の家を回って米やあずきや切り餅をもらって歩いて、それで翌朝十五日の福の粥を作るという古い習慣が行なわれていた。素面ではさすがにぐあいが悪いと見えてみんな道化た仮面をか・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
出典:青空文庫