・・・ その途端に何小二は、どうか云う聯想の関係で、空に燃えている鮮やかな黄いろい炎が眼に見えた。子供の時に彼の家の廚房で、大きな竈の下に燃えているのを見た、鮮やかな黄いろい炎である。「ああ火が燃えている」と思う――その次の瞬間には彼はもうい・・・ 芥川竜之介 「首が落ちた話」
・・・ その前へ毛氈を二枚敷いて、床をかけるかわりにした。鮮やかな緋の色が、三味線の皮にも、ひく人の手にも、七宝に花菱の紋が抉ってある、華奢な桐の見台にも、あたたかく反射しているのである。その床の間の両側へみな、向いあって、すわっていた。上座・・・ 芥川竜之介 「老年」
・・・ このとき、青・赤・緑・紫の宝石が、夜の目にも鮮やかに、凍った雪の上に糸につながれたまま落ちていて輝いているのです。彼は、うれしさに胸がおどって、それを拾おうと駈け出しました。すぐ目の前に落ちていたと思った宝石のくび飾りは、いくらいって・・・ 小川未明 「宝石商」
・・・ 中洲を出た時には、外はまだ明るく、町には豆腐屋の喇叭、油屋の声、点燈夫の姿が忙しそうに見えたが、俥が永代橋を渡るころには、もう両岸の電気燈も鮮やかに輝いて、船にもチラチラ火が見えたのである。清住町へ着いたのはちょうど五時で、家の者はい・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・それが夕方になると眼が吸いつくばかりの鮮やかさに冴える。元来一つの物に一つの色彩が固有しているというわけのものではない。だから私はそれをも偽瞞と言うのではない。しかし直射光線には偏頗があり、一つの物象の色をその周囲の色との正しい階調から破っ・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・空は底を返したるごとく澄み渡りて、峰の白雲も行くにところなく、尾上に残る高嶺の雪はわけて鮮やかに、堆藍前にあり、凝黛後にあり、打ち靡きたる尾花野菊女郎花の間を行けば、石はようやく繁く松はいよいよ風情よく、えんようたる湖の影はたちまち目を迎え・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・この哀れなる姿をめぐりて漂う調べの身にしみし時、霧雨のなごり冷ややかに顔をかすめし時、一陣の風木立ちを過ぎて夕闇嘯きし時、この切那われはこの姉妹の行く末のいかに浅ましきやを鮮やかに見たる心地せり。たれかこの少女らの行く末を守り導くものぞ、彼・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・秋の初めで、空気は十分に澄んでいる、日の光は十分に鮮やかである。画だ! 意味の深い画である。 豊吉の目は涙にあふれて来た。瞬きをしてのみ込んだ時、かれは思わはずその涙をはふり落とした。そして何ともいえない懐しさを感じて、『ここだ、おれの・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・さすがに忘れ果ててはいない、あの時の事この時のこと、自分の繰り返した逍遙の時を憶うにつけてその時自分の目に彫り込まれた風光は鮮やかに現われて来る、画を見るよりも鮮明に現われて来る。秋の空澄み渡って三里隔つる元越山の半腹からまっすぐに立ち上る・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・ 冬の寒い夜の暗い晩で、大空の星の数も読まるるばかりに鮮やかに、舳で水を切ってゆく先は波暗く島黒く、僕はこの晩のことを忘れることができない。 船のなかでは酒が初まった。そして談話は同じく猟の事で、自分はおもしろいと思って聞いていたが・・・ 国木田独歩 「鹿狩り」
出典:青空文庫