・・・が、鳥打帽を阿弥陀にしたまま、如丹と献酬を重ねては、不相変快活にしゃべっていた。 するとその最中に、中折帽をかぶった客が一人、ぬっと暖簾をくぐって来た。客は外套の毛皮の襟に肥った頬を埋めながら、見ると云うよりは、睨むように、狭い店の中へ・・・ 芥川竜之介 「魚河岸」
・・・何だか見た事があるような――そうそう、いつか婆やと長谷へ行った時に、私たちの後をついて来た、あの鳥打帽をかぶっている、若い人のような気がするわ。それとも――私の気のせいだったかしら。」 房子は何か考えるように、ゆっくり最後の言葉を云った・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・が、たちまち鳥打帽をかぶった、学生らしい男が一人、白銅を入れに立って行った。すると彼は腰を擡げるが早いか、ダム何とか言いながら、クルウェットスタンドを投げつけようとした。「よせよ。そんな莫迦なことをするのは。」 僕は彼を引きずるよう・・・ 芥川竜之介 「彼 第二」
・・・のみならず彼等の後ろには鳥打帽子などをかぶった男も五六人胡弓を構えていた。芸者は時々坐ったなり、丁度胡弓の音に吊られるように甲高い唄をうたい出した。それは僕にも必ずしも全然面白味のないものではなかった。しかし僕は京調の党馬や西皮調の汾河湾よ・・・ 芥川竜之介 「湖南の扇」
・・・緑いろの鳥打帽をかぶった、薄い痘痕のある物売りはいつもただつまらなそうに、頸へ吊った箱の中の新聞だのキャラメルだのを眺めている。これは一介の商人ではない。我々の生命を阻害する否定的精神の象徴である。保吉はこの物売りの態度に、今日も――と言う・・・ 芥川竜之介 「十円札」
・・・……そこで、小僧のを脱がせて、鳥打帽です。 ――覚えていますが、その時、ちゃら金が、ご新姐に、手づくりのお惣菜、麁末なもの、と重詰の豆府滓、……卯の花を煎ったのに、繊の生姜で小気転を利かせ、酢にしたしこいわしで気前を見せたのを一重。――・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・あと三個も、補助席二脚へ揉合って乗ると斉しく、肩を組む、頬を合わせる、耳を引張る、真赤な洲浜形に、鳥打帽を押合って騒いでいたから。 戒は顕われ、しつけは見えた。いまその一弾指のもとに、子供等は、ひっそりとして、エンジンの音立処に高く響く・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・しくしく下腹の痛む処へ、洪水のあとの乾旱は真にこたえた。鳥打帽の皺びた上へ手拭の頬かむりぐらいでは追着かない、早や十月の声を聞いていたから、護身用の扇子も持たぬ。路傍に藪はあっても、竹を挫き、枝を折るほどの勢もないから、玉江の蘆は名のみ聞く・・・ 泉鏡花 「栃の実」
・・・例の紺の筒袖に、尻からすぽんと巻いた前垂で、雪の凌ぎに鳥打帽を被ったのは、いやしくも料理番が水中の鯉を覗くとは見えない。大きな鷭が沼の鰌を狙っている形である。山も峰も、雲深くその空を取り囲む。 境は山間の旅情を解した。「料理番さん、晩の・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・ この竹の杖を宙に取って、さきを握って、前へも立たず横添に導きつつ、くたびれ脚を引摺ったのは、目も耳もかくれるような大な鳥打帽の古いのをかぶった、八つぐらいの男の児で。これも風呂敷包を中結えして西行背負に背負っていたが、道中へ、弱々と出・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
出典:青空文庫