・・・丁度上田万年博士が帰朝したてで、飛白の羽織に鳥打帽という書生風で度々遊びに来ていた。緑雨は相応に影では悪語をいっていたが、それでも新帰朝の秀才を竹馬の友としているのが万更悪い気持がしなかったと見えて、咄のついでに能く万年がこういったとか、あ・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・ 店先へ立ち迎えて見ると、客は察しに違わぬ金之助で、今日は紺の縞羅紗の背広に筵織りのズボン、鳥打帽子を片手に、お光の請ずるまま座敷へ通ったが、後見送った若衆の為さんは、忌々しそうに舌打ち一つ、手拭肩にプイと銭湯へ出て行くのであった。・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・ヤいないのだよ』と去ってしまった、それから五分も経ったか、その間身動きもしないで東の森をながめていたが、月の光がちらちらともれて来たのを見て、彼は悠然立って着衣の前を丁寧に合わして、床に放棄ってあった鳥打ち帽を取るや、すたこらと梯子段を下り・・・ 国木田独歩 「郊外」
・・・火鉢に寄っかかッて胸算用に余念もなかった主人が驚いてこちらを向く暇もなく、広い土間を三歩ばかりに大股に歩いて、主人の鼻先に突ったッた男は年ごろ三十にはまだ二ツ三ツ足らざるべく、洋服、脚絆、草鞋の旅装で鳥打ち帽をかぶり、右の手に蝙蝠傘を携え、・・・ 国木田独歩 「忘れえぬ人々」
・・・ 次郎はがっかりしたように答えて、玄関の壁の上へ鳥打帽をかけた。私も冬の外套を脱いで置いて、借家さがしにくたぶれた目を自分の部屋の障子の外に移した。わずかばかりの庭も霜枯れて見えるほど、まだ春も浅かった。 私が早く自分の配偶者を失い・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・この青年がなんと思ったか、ちぢれた髪の上に被っていた鳥打帽を脱いで、それを高く差し伸べた手に持って岸に掛かっている船に向けて振り動かした。そして可笑しな叫声を出した。喜びの叫声を出した。この群の男等はこの青年の真似をして、みな帽を脱いでそれ・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・ ことしの晩秋、私は、格子縞の鳥打帽をまぶかにかぶって、Kを訪れた。口笛を三度すると、Kは、裏木戸をそっとあけて、出て来る。「いくら?」「お金じゃない。」 Kは、私の顔を覗きこむ。「死にたくなった?」「うん。」 ・・・ 太宰治 「秋風記」
・・・すたすた二、三丁歩いて、うしろを振り返り、家人が誰もついて来ないという事を見とどけてから、懐中より鳥打帽をひょいと取出して、あみだにかぶるのである。派手な格子縞の鳥打帽であるが、ひどく古びている。けれども、これをかぶらないと散歩の気分が出な・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・顔の長い人が鳥打帽を冠ると余計に顔が長く見えるという説があるが、これもなんだか関係がありそうである。 芸術写真の一つの技巧として、風景などの横幅を縮め、従って、扁平な家を盛高く、低い森を高く見せてそれで一種の感じを出すのがある。あれなど・・・ 寺田寅彦 「観点と距離」
・・・ 艫の方の横木に凭れて立っている和服にマント鳥打帽の若い男がいちばんの主人株らしい、たぶん今日のプログラムを書いてあるらしい紙片を手に持って立っている。その傍に花火を入れた箱があって、助手がそこから順々に花火の玉を出して打手に渡す。・・・ 寺田寅彦 「雑記(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
出典:青空文庫