・・・眩しくなった眼を室内へ移して鴨居を見ると、ここにも初冬の「森の絵」の額が薄ら寒く懸っている。 中景の右の方は樫か何かの森で、灰色をした逞しい大きな幹はスクスクと立ち並んで次第に暗い奥の方へつづく。隙間もない茂りの緑は霜にややさびて得も云・・・ 寺田寅彦 「森の絵」
・・・元の機械は相当感度がよかったために、アンテナはわずかに二メートルくらいの線を鴨居の電話線に並行させただけで、地中線も何もなしに十分であったのが、捲線が次第に黴びたり、各部の絶縁が一体に悪くなったりしたために感度が低下し、その上にラジオ商が外・・・ 寺田寅彦 「ラジオ雑感」
・・・ 柱でも、鴨居でも、何から何まで、骨細な建て工合で、ガッシリと、黒光りのする家々を見なれた目には、一吹きの大風にも曲って仕舞いそうに思われた。 小道具でも、何んでもが、小綺麗になって、置床には、縁日の露店でならべて居る様な土焼の布袋・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・別に、鴨居から一幅、南画の山水のちゃんと表装したのがかかっていた。瀧田氏は、ぐるぐる兵児帯を巻きつけた風で、その前に立ち、「どうです、これはいいでしょう」と云った。筆の細かい、気品のある、穏雅な画面であった。「誰のです」「そ・・・ 宮本百合子 「狭い一側面」
・・・ 見ると、垣根からズーッと越えて見える部屋の鴨居のすぐ際の処に孝ちゃんと女中が顔を並べてニヤニヤして居る。 一寸眉を寄せたきりで知らん顔をして居る私を、弟はチラッと見たなり返事もしずに投げてよこすので、私も受け答えをして居るうちに又・・・ 宮本百合子 「二十三番地」
・・・ 神さんは、首を捩って、店の鴨居にかけてある古風なボンボン時計を見上げた。「もう小一時間たちますね、かれこれ」 二人は、暫く黙って、聴くともなく二階の話声に耳を傾けた。折々低い声で何か云う男の声がするばかりで、穏かなものであった・・・ 宮本百合子 「帆」
・・・ 縁側なしに造った家の敷居、鴨居から柱、天井、壁、畳まで、bitume の勝った画のように、濃淡種々の茶褐色に染まっている。正面の背景になっている、濃い褐色に光っている戸棚の板戸の前に、煎餅布団を敷いて、病人が寝かしてある。家族の男女が・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
・・・それが鴨居と訳してあった。ダハシュウェルレと云う語もないではないがふと上の方に画いてありそうに思っただけの間違であった。丁度これと似た事が今一つある。それは第二部で、メフィストフェレスがファウストの旧宅に這入った時、家が震動してエストリヒか・・・ 森鴎外 「不苦心談」
・・・ 吉の作った仮面は、その後、彼の店の鴨居の上で絶えず笑っていた。無論何を笑っているのか誰も知らなかった。 吉は二十五年仮面の下で下駄をいじり続けて貧乏した。無論、父も母も亡くなっていた。 或る日、吉は久しぶりでその仮面を仰いで見・・・ 横光利一 「笑われた子」
出典:青空文庫