・・・ 僕は黙るより外はなかった。彼もまた僕のように暗の中を歩いていた。が、暗のある以上は光もあると信じていた。僕等の論理の異るのは唯こう云う一点だけだった。しかしそれは少くとも僕には越えられない溝に違いなかった。……「けれども光は必ずあ・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・となれば、良平も黙るよりほかはなかった。金三はそこへしゃがんだまま、前よりも手荒に百合の芽をいじった。しかし三寸に足りない芽は動きそうな気色も見せなかった。「じゃわしもさわろうか?」 やっと安心した良平は金三の顔色を窺いながら、そっ・・・ 芥川竜之介 「百合」
・・・色の矢を射なさるじゃ、林樹は青く枝は揺るる、楽しく歌をばうたうのじゃ、仲よくおうた友だちと、枝から枝へ木から木へ、天道さまの光の中を、歌って歌って参るのじゃ、ひるごろならば、涼しい葉陰にしばしやすんで黙るのじゃ、又ちちと鳴いて飛び立つじゃ、・・・ 宮沢賢治 「二十六夜」
・・・ロダンは黙る人である。 ロダンは何の過渡もなしに、久保田にこう云った。「マドモアセユはわたしの職業を知っているでしょう。着物を脱ぐでしょうか。」 久保田はしばらく考えた。外の人のためになら、同国の女を裸体にする取次は無論しない。しか・・・ 森鴎外 「花子」
・・・ここへ来ると、皆だれでも黙ってしまって問題をそらしてしまうのが習慣であるが、この黙るところに、もっとものっぴきのならぬ難題が横たわっていると見てもよかろう。 私は創作をするということは、作家の本業だとは思わない。作家の本業というのは、日・・・ 横光利一 「作家の生活」
・・・ 肩を縮めている姉はちょっと黙ると、口をとがらせて唾を吐きかける真似をした。「吉ッ!」と父親は叱った。 暫くして屋根裏の奥の方で、「まアこんな処に仮面が作えてあるわ。」 という姉の声がした。 吉は姉が仮面を持って降り・・・ 横光利一 「笑われた子」
出典:青空文庫