・・・この看守は煙草が吸いたくてたまらないでいる留置人の鼻先で、指もくぐらない細かい金網のこっち側へわざとバットを転しておいたり、今にも喫わしてくれそうに、ケースの上でトントンとやって見せたりして、猿をからかうように留置人をからかうのであった。そ・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・私は重い睡い空気と何とか新鮮な人間の生きるにふさわしいオゾーンを発生させようと夜もひるも動いている小さい丸いダイナモなのに あなたの手紙は私を笑わせ、そして愛情のふかい怒った心持も起させ、ゲンコをその鼻先にこすりつけて上げたいと思わせます。・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ 烈しい風に吹きとばされまいとして、私は外套のカラーを片手で頸のまわりに押え、技師の鼻先へ耳をつき出してそういう話をききとるのである。三人をのせた大型パッカードはバクーの市から十二露里隔った通称「黒い町」大油田へ向って矢のように走ってい・・・ 宮本百合子 「石油の都バクーへ」
・・・乾干びた、人間知のない、かかしのような人間です。鼻先から出る道徳に塗り固められて何事も心臓でもって理解することができず、また何事も心臓から出て行為することのできない、死人のような人間です。ゲエテも言ったように、迷うということは生きる証拠です・・・ 和辻哲郎 「すべての芽を培え」
出典:青空文庫