・・・ 地理に通じない叔母の返事は、心細いくらい曖昧だった。それが何故か唐突と、洋一の内に潜んでいたある不安を呼び醒ました。兄は帰って来るだろうか?――そう思うと彼は電報に、もっと大仰な文句を書いても、好かったような気がし出した。母は兄に会い・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・とか何とか、至極曖昧な返事をした。が、老紳士は少しも、こっちの返事などには、注意しない。折からウェエタアが持って来たウイスキイで、ちょいと喉を沾すと、ポケットから瀬戸物のパイプを出して、それへ煙草をつめながら、「もっとも気をつけても、あ・・・ 芥川竜之介 「西郷隆盛」
・・・しかし種々の鑑賞を可能にすると云う意味はアナトオル・フランスの云うように、何処か曖昧に出来ている為、どう云う解釈を加えるのもたやすいと云う意味ではあるまい。寧ろ廬山の峯々のように、種々の立ち場から鑑賞され得る多面性を具えているのであろう。・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・電話は何度返事をしても、唯何か曖昧な言葉を繰り返して伝えるばかりだった。が、それはともかくもモオルと聞えたのに違いなかった。僕はとうとう電話を離れ、もう一度部屋の中を歩き出した。しかしモオルと云う言葉だけは妙に気になってならなかった。「・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・父は監督の言葉の末にも、曖昧があったら突っ込もうとするように見えた。白い歯は見せないぞという気持ちが、世故に慣れて引き締まった小さな顔に気味悪いほど動いていた。 彼にはそうした父の態度が理解できた。農場は父のものだが、開墾は全部矢部とい・・・ 有島武郎 「親子」
・・・と、母は曖昧な返事をした。「知らないはずはない。おれの家をあずかっていながらどんな鍵でもぞんざいにしておくはずはない」「実は大事にしまってあることはしまってありますが、お千代が渡してくれるなと言っていましたから――」「千代は私の・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ 曖昧に苦笑してると、男はまるで羽搏くような恰好に、しきりに両手をうしろへ泳がせながら、「失礼でっけど、あんた昨夜おそうにお着きにならはった方と違いまっか」 と、訊いた。「はあ、そうです」 何故か、私は赧くなった。「・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・と全く同じ丁寧な言葉で、音も柔かで、語尾が伸びて曖昧に消えてしまう。けっして「そうだッ」と強く断定する言葉ではない。つまり同じ大阪弁の「そうだす」に当るのである。しかし「そうだす」と書いてしまっては、「そうだ」の感じが出ないし、といって「そ・・・ 織田作之助 「大阪の可能性」
・・・複雑、怪奇、微妙、困難、曖昧、――などと、当てはめようとしてもはまらぬくらい、この言葉はややこしいのだ。「あの銀行はこの頃ややこしい」「あの二人の仲はややこしい仲や」「あの道はややこしい」「玉ノ井テややこしいとこやなア」・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
・・・恐らく講師の私を大いに学のある男だと思ったらしかったが、しかし、私は講演しながら、アラビヤに沙漠があったかどうか、あるいはまた、アラビヤに猿が棲んでいたかどうかという点については、甚だ曖昧で、質問という声が出ないかと戦々兢々としていたのであ・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
出典:青空文庫