・・・織田氏程の人が、東京の感情に合うような細工が出来ない訳はないだろうし、そういう細工をすれば、というくらいのことを感じないわけはないと思うが、それにも拘らず、あの作品を書き送ったということは、東京文壇に対する一種の反逆と見られないことはないと・・・ 織田作之助 「東京文壇に与う」
・・・だから吉田の頭には地震とか火事とか一生に一度遭うか二度遭うかというようなものまでが真剣に写っているのだった。また吉田がこの状態を続けてゆくというのには絶えない努力感の緊張が必要であって、もしその綱渡りのような努力になにか不安の影が射せばたち・・・ 梶井基次郎 「のんきな患者」
・・・傲然として鼻の先にあしらうごとき綱雄の仕打ちには、幾たびか心を傷つけられながらも、人慣れたる身はさりげなく打ち笑えど、綱雄はさらに取り合う気色もなく、光代、お前に買って来た土産があるが、何だと思う。当てて見んか。と見向きもやらず。 善平・・・ 川上眉山 「書記官」
さて、明治の御代もいや栄えて、あの時分はおもしろかったなどと、学校時代の事を語り合う事のできる紳士がたくさんできました。 落ち合うごとに、いろいろの話が出ます。何度となく繰り返されます。繰り返しても繰り返しても飽くを知・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・恋に倦だ奴ほど始末にいけないものは決して他にあるまい、僕はこれを憎むべきものと言ったが実は寧ろ憐れむべきものである、ところが男子はそうでない、往々にして生命そのものに倦むことがある、かかる場合に恋に出遇う時は初めて一方の活路を得る。そこで全・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・この闘いに協同戦線を張って助け合うことが夫婦愛を現実に活かす大きな機会でなくてはならぬ。たのみ合うという夫婦愛の感じは主としてここから生まれる。この問題でたよりにならない相手では、たのみにならない味方ということになる。この闘いは今日の場合で・・・ 倉田百三 「愛の問題(夫婦愛)」
・・・の難に会うべしという予言は、そのままに現われつつあった。そして日蓮はもとよりそれを期し、法華経護持のほこりのために、むしろそれを喜んだ。 かくて三年たった。関東一帯には天変地妖しきりに起こり出した。正嘉元年大地震。同二年大風。同三年大飢・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・歩哨は、それに会うと、ふるえ上らずにはいられなかった。こちらは銃を持っているとは云え、二人だけしかいないのだ。慄悍な動物は、弾丸をくぐって直ちに、人に迫って来る。それは全く凄いものだった。衛兵は総がかりで狼と戦わねばならなかった。悪くすると・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・支那人は、錻力で特別に作らせた、コルセット様の、ぴったりと人間の胴体に合う中が空洞となった容器に、酒精を満し、身肌につけて、上から服を着、何食わぬ顔で河岸からあがってきた。酒精に水をまぜて、火酒として売りつけた。資本主義時代から、飲んだくれ・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・そんな工合で互に励み合うので、ナマケル奴は勝手にナマケて居るのでいつまでも上達せぬ代り、勉強するものはズンズン上達して、公平に評すれば畸形的に発達すると云っても宜いが、兎に角に発達して行く速度は中々に早いものであったのです。 併し自修ば・・・ 幸田露伴 「学生時代」
出典:青空文庫