・・・入谷の朝顔と団子坂の菊人形の衰微は硯友社文学とこれまたその運命を同じくしている。向島の百花園に紫や女郎花に交って西洋種の草花の植えられたのを、そのころに見て嘆く人のはなしを聞いたことがあった。 銀座通の繁華が京橋際から年と共に新橋辺に移・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・遅桜もまだ散り尽さぬ頃から聞えはじめる苗売の声の如き、人はまだ袷をもぬがぬ中早くも秋を知らせる虫売の如き、其他風鈴売、葱売、稗蒔売、朝顔売の如き、いずれか俳諧中の景物にあらざるはない。正月に初夢の宝船を売る声は既に聞かれなくなったが、中元に・・・ 永井荷風 「巷の声」
・・・日本の旅館にはそれに優るとも敢て劣らぬ同じ蒲団の気味悪さに、便所とそれから毎朝顔を洗う流し場の不潔が景物として附加えられてある。 便所の事はいうまい。もしこれが自分の家であったら、見知らぬ人に寝起のままの乱れた髪や汚れた顔を見せずとも済・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・六 あくる朝顔を洗ってへやへ帰ると、棚の上の鏡台が麗々と障子の前にすえ直してある。自分は何気なくその前にすわるとともに鏡の下の櫛を取り上げた。そしてその櫛をふくつもりかなにかで、鏡台のひきだしを力任せにあけてみた。すると浅い・・・ 夏目漱石 「手紙」
・・・「それから垣根の朝顔が、茶色に枯れて、引っ張るとがらがら鳴る時分、白い靄が一面に降りて、町の外れの瓦斯灯に灯がちらちらすると思うとまた鉦が鳴る。かんかん竹の奥で冴えて鳴る。それから門前の豆腐屋がこの鉦を合図に、腰障子をはめる」「門前・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・夏中一つも実らなかった南瓜が、その発育不十分な、他の十分の一もないような小さな葉を、青々と茂らせて、それにふさわしい朝顔位の花をたくさんつけて、せい一杯の努力をしている。もう九月だのに。種の保存本能!―― 私は高い窓の鉄棒に掴まりながら・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
・・・その例、嵯峨へ帰る人はいづこの花に暮れし一行の雁や端山に月を印す朝顔や手拭の端の藍をかこつ水かれ/″\蓼かあらぬか蕎麦か否か柳散り清水涸れ石ところ/″\我をいとふ隣家寒夜に鍋をならす霜百里舟中に我月を領す・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・ニッケルの大きい朝顔のラッパがついた蓄音器も木箱から出て来た。柿の白い花が雨の中に浮いていたことを覚えているから、多分その翌年の初夏ごろのことであったろう。父は裏庭に向った下見窓の板じきのところに蓄音器をおいて、よくひとりでそれをかけては聴・・・ 宮本百合子 「きのうときょう」
・・・ 平八郎の絵、朝顔がよかった帝展には大体興味なし。けれどもこの間契月、未醒、清方、霊華などの合評を読んだら、フム、と感じるところもあった。 Sさんが帰ると、Y、急に九品仏に行こうといい出した。この間N氏が家族づれで行ってなかなか道の・・・ 宮本百合子 「金色の秋の暮」
・・・若し通路に危険がなく、公園にでも近ければ、子供は独りで一定の時間まで遊ばせられる。朝顔を洗うこと、挨拶すること、自分の着物を出来る丈自分で始末して、玩具や靴、帽子等に対して責任感を持たせられる。小さいながら、年相当一人の紳士とし、又は淑女と・・・ 宮本百合子 「男女交際より家庭生活へ」
出典:青空文庫