・・・ ばかに自分の事ばかり書きすぎたようにも思うが、しかし、作家が他の作家の作品の解説をするに当り、殊にその作家同士が、ほとんど親戚同士みたいな近い交際をしている場合、甚だ微妙な、それこそ飛石伝いにひょいひょい飛んで、庭のやわらかな苔を踏ま・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
・・・そして地図上のただの線でも、そこの実景を眼の当りに経験すれば、それまでとはまるで違ったものに見えて来る。また特にフィルムの繰り出し方を早めあるいは緩めて見せる事によって色々の知識を授ける事が出来る。例えば植物の生長の模様、動物の心臓の鼓動、・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・田端辺りでも好い。広々した畑地に霜解けを踏んで、冬枯れの木立の上に高い蒼空を流れる雲でも見ながら、当もなく歩いていたいと思う。いつもは毎日一日役所の殺風景な薄暗い部屋にのみ籠っているし、日曜と云っても余計な調べ物や内職の飜訳などに追われて、・・・ 寺田寅彦 「枯菊の影」
・・・直径百メートルもあるかと思う円周の上を走って行くその円の中心と思う辺りを注意して見るとなるほどそこに一羽の鳥が蹲っている。そうしてじっと蹲ったままで可愛い首を動かして自分のまわりをぐるぐる廻って行く不思議な人影を眺めているようである。その人・・・ 寺田寅彦 「鴫突き」
・・・この辺りまで畑打つ男女何処となく悠長に京びたるなどもうれし。茶畑多くあり。春なれば茶摘みの様汽車の窓より眺めて白手拭の群にあばよなどするも興あるべしなど思いける。大谷に着く。この上は逢坂なり。この名を聞きて思い出す昔の語り草はならぶるも管な・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・阪の中程に街燈がただ一つ覚束ない光に辺りを照らしている。片側の大名邸の高い土堤の上に茂り重なる萩青芒の上から、芭蕉の広葉が大わらわに道へ差し出て、街燈の下まで垂れ下がり、風の夜は大きな黒い影が道一杯にゆれる。かなりに長いこの阪の凸凹道にただ・・・ 寺田寅彦 「やもり物語」
・・・ 一同、成程と思案に暮れたが、此の裏穴を捜出す事は、大雪の今、差当り、非常に困難なばかりか寧ろ出来ない相談である。一同は遂にがたがた寒さに顫出す程、長評定を凝した結果、止むを得ないから、見付出した一方口を硫黄でえぶし、田崎は家にある鉄砲・・・ 永井荷風 「狐」
・・・太十は独でぶつぶついって当り散した。村の者の目にも悄然たる彼の姿は映った。悪戯好のものは太十の意を迎えるようにして共に悲んだ容子を見てやった。太十は泣き相になる。それでもお石の噂をされることがせめてもの慰藉である。みんなに揶揄われる度に切な・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・投げると申すと失敬に当りますが、粟餅とは認めていないのだから、大した非礼にはなるまいと思います。 この放射作用と前に申した分化作用が合併して我以外のものを、単に我以外のものとしておかないで、これにいろいろな名称を与えて互に区別するように・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・只眼にあまる情けと、息に漏るる嘆きとにより、昼は女の傍えを、夜は女の住居の辺りを去らぬ誠によりて、我意中を悟れかしと物言わぬうちに示す」クララはこの時池の向うに据えてある大理石の像を余念なく見ていた。「第二を祈念の時期と云う。男、女の前に伏・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
出典:青空文庫