・・・ここから、四人称という観念の発明が提出されているにも拘らず、作品の主調はあり合わす現実に屈服して全く通俗化の方向を辿るばかりとなった。 観念的な用語の上では一見非常に手がこんでいるように見えて、内実は卑俗なものへの屈従であるような現実把・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・軌道の二重になりたる処にて、向いよりの車を待合わすこと二度。この間長きときは三十分もあらん。あたりの茶店より茶菓子などもて来れど、飲食わむとする人なし。下りになりてより霧深く、背後より吹く風寒く、忽夏を忘れぬ。されど頭のやましきことは前に比・・・ 森鴎外 「みちの記」
・・・勘次は初め秋三と顔を合すのが不快さに行きたくはなかったが、それは却って秋三を恐れているようでいけないし、とうとう何時の間に決心したのか自分ながら分らずに、ただ母親に曳かれる気持で小屋へ来た。「おい、喜びやれ、往生しよったぞ。」 秋三・・・ 横光利一 「南北」
出典:青空文庫