・・・この時に当り徳川政府は伏見の一敗復た戦うの意なく、ひたすら哀を乞うのみにして人心既に瓦解し、その勝算なきは固より明白なるところなれども、榎本氏の挙は所謂武士の意気地すなわち瘠我慢にして、その方寸の中には竊に必敗を期しながらも、武士道の為めに・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・○僕も昔は少し気取て居った方で、今のように意気地なしではなかった。一口にいうとやや悟って居る方だと自惚れて居た。ところが病気がだんだん劇しくなる。ただ身体が衰弱するというだけではないので、だんだんに痛みがつのって来る。背中から左の横腹や・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・いまぼくが読み返してみてさえ実に意気地なく野蛮なような気のするところがたくさんあるのだ。ちょうど小学校の読本の村のことを書いたところのようにじつにうそらしくてわざとらしくていやなところがあるのだ。けれどもぼくのはほんとうだから仕方ない。ぼく・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・下宿している女学生の夕飯は皆この通りではないか、意気地なし! 三畳から婆さんが、「いかがです御汁、よろしかったらおかえいたしましょう」と声をかけてよこした。陽子は膳の飯を辛うじて流し込んだ。 三 庭へ廻・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・国家が社会施設として育児院、産院、託児所を設けなければならないということは、寿産院の事実ではっきり示されています。〔一九四八年一月〕 宮本百合子 「“生れた権利”をうばうな」
・・・ 十一月号の『漁村』には、各県の漁業の合理化の方策がのせられていて、婦人に関する項目として、陸上の仕事はなるたけ婦人にさせること、日常生活の合理化を教え、衛生、育児の知識を授けること、女子漁民道場をこしらえて漁村婦女の先駆者たらしめるこ・・・ 宮本百合子 「漁村の婦人の生活」
どんな育児の本も、必ずとり落しなく触れている一つのことがあります。それは幼い子供たちが次第次第に智慧づいて来たとき、心の目醒めを告げる暁の声としてきっと、「それは、なあぜ?」「どうしてそうなの?」と熱心に答えを求める。これ・・・ 宮本百合子 「最初の問い」
・・・ 僅かながら年々絶えず出版されていたのは家事・家政・料理・育児・裁縫・手芸などの本で、それにしろ程度から云うと大体は補習書めいたものが多い。 これらの状態を、ひとめでわかる統計図にして、今日の日本の若い女性たちが眺めたら、彼女たちは・・・ 宮本百合子 「女性の書く本」
・・・ СССРは過度姙娠、育児の負担から女性を解放すると同時に、戸毎の大小の厨炉の前から女を解こうとした。集会に於て勧告するであろう「我等新社会*の一市民は、各自の精力を最も有益に利用することを学ばなければならない。二杯のスープと二皿の・・・ 宮本百合子 「一九二九年一月――二月」
・・・洗濯をする、炊事、育児、そういうものをソヴェトでは出来るだけ社会的にしようとしている。炊事でもめいめいが台所で僅の材料を買って、時間を費して、大して美味くもないものを拵えて食べているより、モスクワでは既に出来ているが、大きな厨房工場、台所工・・・ 宮本百合子 「ソヴェト・ロシアの素顔」
出典:青空文庫