・・・ Y、大きな声で「遺言! 遺言!」「今度買った地面は皆で二十七円だ。阿母さんのものにするつもりだ、あとは皆書つけにしてあるから」 Y、母の土地が、そんなにやすくては憤るだろうと思う。やがて父死ぬ。お父さーんお父さーんと泣く。・・・ 宮本百合子 「一九二五年より一九二七年一月まで」
・・・ ――助けよ ――一杯やる前に遺言に署名せよ。貴君の遺言中に当院への遺贈を記入されんことを。 ――何処にあるか。 何をしているか。 何を必要としているか。 助を求めて!! 火花を飛ばしているのは病院孤児院ばか・・・ 宮本百合子 「ロンドン一九二九年」
・・・この市長というは土地の名家で身の丈高く辞令に富んだ威厳のある人物であった。『アウシュコルン、』かれは言った、『今朝、ブーズヴィルの途上でイモーヴィルのウールフレークの遺した手帳をお前が拾ったの見たものがある。』 アウシュコルンはなぜ・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・ 岫雲院で荼だびになったのは、忠利の遺言によったのである。いつのことであったか、忠利が方目狩に出て、この岫雲院で休んで茶を飲んだことがある。そのとき忠利はふと腮髯の伸びているのに気がついて住持に剃刀はないかと言った。住持が盥に水を取って・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・然るところ松向寺殿御遺骸は八代なる泰勝院にて荼だびせられしに、御遺言により、去年正月十一日泰勝院専誉御遺骨を京都へ護送いたし候。御供には長岡河内景則、加来作左衛門家次、山田三右衛門、佐方源左衛門秀信、吉田兼庵相立ち候。二十四日には一同京都に・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・ 床前に端座した栖方は、いつもの彼には見られぬ上官らしい威厳で首を横に振った。断乎とした彼の即決で、句会はそのまま続行された。高田の披講で一座の作句が読みあげられていくに随い、梶と高田の二作がしばらく高点を競りあいつつ、しだいにまた高田・・・ 横光利一 「微笑」
・・・真の名誉というものは、神を信じて、世の中に働くことにあるので、真の安全も満足もこの外に得られるものでないと、つねづね仰ったことを、御遺言として、記憶しておいで」と、心を一杯籠めて仰ったのを、訳はよく分らないでも、忘れる処か、今そこでうかがっ・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
・・・信玄の遺言といわれるものは、勝頼に対して、おれの死後謙信と和睦せよ、和睦ができたらば、謙信に対して頼むと一言言え、謙信はそう言ってよい人物であると教えている。真偽はとにかく、信玄はそういう人物と考えられていたのである。 慶長の末ごろ・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
・・・そうしてさらに一層まれに、すなわち数年の間に一度くらい、あの王者の威厳と聖人の香りをもってむっくりと落ち葉を持ち上げている松茸に、出逢うこともできたのである。 こういう茸狩りにおいて出逢う茸は、それぞれ品位と価値とを異にするように感じら・・・ 和辻哲郎 「茸狩り」
・・・今やその不当な取り扱いは償われ、ただ芸術品としての威厳をもって人々の上に臨んだのである。 かくのごとき偶像の再興はまた千年にわたる教権の圧迫への反抗をも意味した。偶像再興者の眼より見れば、教権こそは破壊せらるべき偶像に過ぎないのであった・・・ 和辻哲郎 「『偶像再興』序言」
出典:青空文庫