・・・喜三郎は心配の余り、すぐにも医者を迎えたかったが、病人は大事の洩れるのを惧れて、どうしてもそれを許さなかった。 甚太夫は枕に沈んだまま、買い薬を命に日を送った。しかし吐瀉は止まなかった。喜三郎はとうとう堪え兼ねて、一応医者の診脈を請うべ・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・からだをすっかりふいてやったおとうさんが、けががひどいから犬の医者をよんで来るといって出かけて行ったるすに、ぼくは妹たちに手伝ってもらって、藁で寝床を作ってやった。そしてタオルでポチのからだをすっかりふいてやった。ポチを寝床の上に臥かしかえ・・・ 有島武郎 「火事とポチ」
・・・しかしそれは一個の自己陶酔、自己慰藉にすぎないことを知った。 ただし第三階級に踏みとどまらざるをえないにしても、そこにはおのずからまた二つの態度が考えられる。踏みとどまる以上は、極力その階級を擁護するために力を尽くすか、またはそうはしな・・・ 有島武郎 「想片」
・・・ 十二人の名誉職、医者、警部がいずれも立つ。のろのろと立つのも、きさくらしく立つのもある。顔は皆蒼ざめて、真面目臭い。そして黒い上衣と光るシルクハットとのために、綺麗に髯を剃った、秘密らしい顔が、一寸廉立った落着を見せている。 やは・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・ 肺病のある上へ、驚いたがきっかけとなって心臓を痛めたと、医者が匙を投げてから内証は証文を巻いた、但し身附の衣類諸道具は編笠一蓋と名づけてこれをぶったくり。 手当も出来ないで、ただ川のへりの長屋に、それでも日の目が拝めると、北枕に水・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・ 永久なる眠りも冷酷なる静かさも、なおこのままわが目にとどめ置くことができるならば、千重の嘆きに幾分の慰藉はあるわけなれど、残酷にして浅薄な人間は、それらの希望に何の工夫を費さない。 どんなに深く愛する人でも、どんなに重く敬する人で・・・ 伊藤左千夫 「奈々子」
・・・「まだ泣かない、お父さんまだ医者も来ない」 自分はあわてながらもむつかしいなと腹に思いつつなお一息と走った。 わやわやと騒がしい家の中は薄暗い。妻は台所の土間に藁火を焚いて、裸体の死児をあたためようとしている。入口には二、三人近・・・ 伊藤左千夫 「奈々子」
・・・愚かなことでしょうがこの場合お前さんに民子の話を聞いて貰うのが何よりの慰藉に思われますから、年がいもないこと申す様だが、どうぞ聞いて下さい」 お祖母さんがまた話を続ける身を責めて泣かれるのも、その筈であった。僕は、「お祖母さん、よく・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・ことにお千代は極端に同情し母にも口説き自分の夫にも口説きしてひそかに慰藉の法を講じた。自ら進んで省作との間に文通も取り次ぎ、時には二人を逢わせる工夫もしてやった。 おとよはどんな悲しい事があっても、つらい事があっても、省作の便りを見、ま・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・ 軽い手術だから医者は局部注射の必要もないと言ったが、夏目さんは強いてコカエン注射をしてもらった上に、いざ手術に取りかかると実に痛がる様子を見せたので、看護婦どもが笑ったそうである。そんなことを話してから夏目さんは「近頃、主人公の威厳を・・・ 内田魯庵 「温情の裕かな夏目さん」
出典:青空文庫