・・・「この小倅は異相をしている。」 鬼上官は二言と云わずに枕の石を蹴はずした。が、不思議にもその童児は頭を土へ落すどころか、石のあった空間を枕にしたなり、不相変静かに寝入っている!「いよいよこの小倅は唯者ではない。」 清正は香染・・・ 芥川竜之介 「金将軍」
・・・八月ごろの東京の風の一日じゅうの変化を調べてみると、やはり海陸風に相当する規則正しい風の周期的変化があるが、ただ東京では日々変化の位相が著しくくずれているのと、夏期の南東の季節風がかなりよく発達しているために、夕なぎに相当する時刻にはこの季・・・ 寺田寅彦 「海陸風と夕なぎ」
・・・従って鳥の地上高度によって第一声前半の反響とその後半とがいろいろの位相で重なり合って来る。それで、もしも鳥が反響に対して充分鋭敏な聴覚をもっているとしたら、その反響の聴覚と自分の声の聴覚との干渉によって二つの位相次第でいろいろちがった感覚を・・・ 寺田寅彦 「疑問と空想」
・・・言い換えれば、異質異相の境界面の存在しない所には生命は存在し得られないのである。ところが、そういう境界面があるということは一方において「可視」ということと密接に結びつけられている。少しのチンダル効果さえ示さない全く不可視な固体コロイドは考え・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・換言すれば週期的運動の位相がほぼ等分にちがっているほうが乗客の待ち合わせる時間を均等にし従って乗客の数を均等に分布する点で便利であろうと思われる。しかし実際には三つがほぼ同時に同じ階を同じ方向に通過する場合が多いように思われる。もっともそう・・・ 寺田寅彦 「蒸発皿」
・・・そういうことのないようにするためには弓がきわめて敏感に弦の振動状態に反応して、ちょうど弦の要求するエネルギーを必要にしてかつ有効な位相において供給しなければならない。この微妙な反応機巧は弦と弓とが一つの有機的な全系統を形成していて、そうして・・・ 寺田寅彦 「「手首」の問題」
・・・すなわち振動体の減衰するエネルギーを弓の仕事で補給する、その補給の回数と適当な位相とを振動体の振動自身が調節するというのである。この点では実際ラジオなどに使う真空管とよく似た場合である。 しかしこれだけの説明で満足しないでもう一歩深く立・・・ 寺田寅彦 「日常身辺の物理的諸問題」
・・・時代は進むばかりであとへはもどらないはずであるが、時代の波の位相のようなものはほぼ同じことを繰り返すのかもしれない。しかしただ繰り返すだけではなくて、やはり何かしらあるものの積分だけは蓄積しているには相違ない。そうしてその積分されたものの掛・・・ 寺田寅彦 「LIBER STUDIORUM」
・・・ 真実の愛に立たない分別ある結婚から、男も女もやがてどの位相手をあざむき、自身をごまかす副次結婚や恋愛に陥っているだろう。若い愛がまともに達成されず、途中で挫かれ、初々しい真摯さを愚弄されるために、いかほど、人間への信頼を失って肉体と精・・・ 宮本百合子 「貞操について」
・・・謙介は成長してから父に似た異相の男になったが、後日安東益斎と名のって、東金、千葉の二箇所で医業をして、かたわら漢学を教えているうちに、持ち前の肝積のために、千葉で自殺した。年は二十八であった。墓は千葉町大日寺にある。 浦賀へ米艦が来・・・ 森鴎外 「安井夫人」
出典:青空文庫