・・・今朝は気がつかなかったが、道の西手に一段低い畑には、蕎麦の花が薄絹を曳き渡したように白く見える。こおろぎが寒げに鳴いているにも心とめずにはいられない。「民さん、くたぶれたでしょう。どうせおそくなったんですから、この景色のよい所で少し休ん・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・ひかって青い光が破裂すると、ぱらぱらッと一段烈しう速射砲弾が降って来たんで、僕は地上にうつ伏しになって之を避けた。敵塁の速射砲を発するぽとぽと、ぽとぽとと云う響きが聴えたのは、如何にも怖いものや。再び立ちあがった時、僕はやられた。十四箇所の・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・図は四条の河原の涼みであって、仲居と舞子に囲繞かれつつ歓楽に興ずる一団を中心として幾多の遠近の涼み台の群れを模糊として描き、京の夏の夜の夢のような歓楽の軟かい気分を全幅に漲らしておる。が、惜しい哉、十年前一見した時既に雨漏や鼠のための汚損が・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・その続きに「第九輯百七十七回、一顆の智玉、途に一騎の驕将を懲らすといふ一段を五行或は四行の大字にものしぬるに字行もシドロモドロにて且墨の続かぬ処ありて読み難しと云へば其を宅眷に補はせなどしぬるほどに十一月に至りては宛がら雲霧の中に在る如く、・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・そして、自分は珍しい支那鉢に植えられて、一段高い、だんの上に載せられていたのでした。 夜になると、風は吹いたけれど、あのむちを振り、ひづめを鳴らして過ぎるようなあらしではありませんでした。星の光は急に、遠くなって、また銀河の色は、見える・・・ 小川未明 「しんぱくの話」
・・・金色にまぶしくふちどられた雲の一団が、その前を走っていました。先頭に旗を立て、馬にまたがった武士は、剣を高く上げ、あとから、あとから軍勢はつづくのでした。じいさんは、いまから四十年も、五十年も前の少年の時分、戦争ごっこをしたり、鬼ごっこをし・・・ 小川未明 「手風琴」
・・・ やがて、みんなが、一団となって、ペスをさがしにゆきました。その中に、小さい政ちゃんもはいっていました。 橋のところから、ペスのいったという、道を歩いて、原っぱへ出て、半分は、散歩の気分で、愉快そうに話しながら、足の向く方にあるいて・・・ 小川未明 「ペスをさがしに」
・・・ 媼さんは心もとなげに眺めていたが、一段声を低めて、「これはね、ここだけの話ですが――もっとも、お光さんは何もかも知っておいでなさることだから、お談しせずともだけれど、あれも来年はもう二十でございますからね。それに御存じの通りの為体で、・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・俺も森を畑へ駈出して慥か二三発も撃たかと思う頃、忽ちワッという鬨の声が一段高く聞えて、皆一斉に走出す、皆走出す中で、俺はソノ……旧の処に居る。ハテなと思た。それよりも更と不思議なは、忽然として万籟死して鯨波もしなければ、銃声も聞えず、音とい・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・豊吉は墓の間を縫いながら行くと、一段高いところにまた数十の墓が並んでいる、その中のごく小さな墓――小松の根にある――の前に豊吉は立ち止まった。 この墓が七年前に死んだ「並木善兵衛之墓」である、「杉の杜の髯」の安眠所である。 この日、・・・ 国木田独歩 「河霧」
出典:青空文庫