・・・の創造が可能になり、小説本来の面白さというものが近代の息吹をもって日本の文壇に生れるのではあるまいか。 織田作之助 「可能性の文学」
・・・ 高等学校は三高、山本修二先生、伊吹武彦先生など劇に関係のある先生がいて、一緒に脚本朗読会をやって変な声をだしていた。そういう関係から劇に志したのには無論違いないだろうけれど、しかし、中学校の三年生の時の作文に、股旅物の戯曲を書いて叱ら・・・ 織田作之助 「わが文学修業」
・・・ 私がこれまで耳にした私に関する批評の中で、一番どきんとしたのは、伊吹武彦氏の、「ええか、織田君、君に一つだけ言うぞ、君は君を模倣するなってことだ」 という一言だった。 その時、私はこう答えた。「いや僕の文学、僕の今まで・・・ 織田作之助 「私の文学」
・・・けれども、私は、いつの日か、一丈ほどの山椒魚を、わがものにしたい、そうして日夕相親しみ、古代の雰囲気にじかに触れてみたい、深山幽谷のいぶきにしびれるくらい接してみたい、頃日、水族館にて二尺くらいの山椒魚を見て、それから思うところあってあれこ・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
昨年三月の「潮音」に出ている芭蕉俳句研究第二十四回の筆記中に 千川亭おりおりに伊吹を見てや冬ごもりという句について、この山の地勢や気象状態などが問題になっていて、それについていろいろ立ち入った・・・ 寺田寅彦 「伊吹山の句について」
・・・大らかな天蓋のように私共の頭上に懸って居べき青空は、まるで本来の光彩を失って、木や瓦の間に、断片的な四角や長方形に画られて居る。息吹は吹きとおさない。此処からは、何処にも私の懐しい自然全景を見出すことは出来ない。視覚の束縛のみではない。心が・・・ 宮本百合子 「餌」
・・・あらゆる進歩的なインテリゲンツィアと勤労者に、その敗因が全くひとごとではない連帯的な現実の中にあるということを、芸術の息吹によって深く感じさせるべき義務を果して得ていないところに、その努力によって敗因を克服する意志をふるい立てぬところにある・・・ 宮本百合子 「落ちたままのネジ」
・・・日本独特のダラダララジオから、こういう声が響き、外ならぬアナウンサアが、こういう人間的感動をもって、彼等も一専門家として享受するようになった解放の息吹に胸を高鳴らしているという事実は、深くわたしの心を動かしたのであった。そして、我々日本人は・・・ 宮本百合子 「みのりを豊かに」
・・・『白樺』によって紹介されたヨーロッパの芸術家達、例えばトルストイ、ロダン、ロマン・ローラン、ホイットマンなどは何れも日本の文化に新しい息吹を吹込んだ。白樺運動の、当時まだ若かった武者小路実篤その他の人々は日本にとって一つの新しい魅するところ・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
出典:青空文庫